写真の神様にもやはり前髪しかない

最近とんとん拍子に欲しかった写真集が手に入ったので、これまで眠っていた収集欲が頭をもたげて来ています。

筆頭は、植物写真家として高名な山村雅昭の「花狩」(88年)
出来れば「植物に」(76年)も欲しいですが、市場から姿を消しているとおぼしい。
市場価格も一万五千円くらいとこなれていて、今すぐにでもGETしたいところですが、今月は2冊も買ってしまったのでちょっと自重中。

ところで山村雅昭氏も「花狩」を絶筆に出版前に自殺されています――。
作家も芥川龍之介、太宰治、川端康成と枚挙にいとまがないですが、写真家の自殺率というのも実は高いのか……。

私の写真集収集の趣味は後悔の歴史でもあります。
当時の自分に言ってやりたい。「欲しいと思ったら即買え」

動物写真家の宮崎学さんの「死 Death in Nature」という写真集があります。
死んだ鹿やタヌキが自然に還るまでを克明に記録したものです。
現代の九相図とでも言うべき衝撃的な内容ですが、それでいて不思議と全くグロくなく、自然の調和の美しさに感嘆します。

10年以上前だと思いますが、それをたまたま書店で手に取ってたいへん感銘を受けました。
受けた――、ハズなのですがしばらく忘れており、ふと今になって思い出し調べたら、既に絶版で古書市場ではたいへん高価になっていました。

もう一つ!
水俣を撮ったことで知られている、世界的に著名な写真家ユージン・スミスの助手も務めた森永純の「河‐累影」(78年)
これも10年くらい前になるでしょうか、友達と中野ブロードウェイに遊びに行った際にまんだらけのショーウィンドウに展示されているのを見たのです。
確か¥22,000でした。

ひとりで来ていたら確実に手に取ったと思いますが、大型本なので、友と連れ立って歩くのに手がふさがって不便だと思いスルーしてしまいました。
しかしその後なぜか忘れ、今に至るまで中野ブロードウェイを再訪することもなく……。

大型書店の棚を覗けば数多くの写真集が並んでいます。
時の経過とともにその後プレミアムが付くのか、特に何も無く忘れ去られるのかは分かりませんが、定価はある意味バーゲンセールの値札のようなもの。
もしも少しでも心に残る本があれば、迷わずGETするのが良いでしょう。
たぶんそれは一期一会の出会いです。

清野賀子-至るところで 心を集めよ 立っていよ

ついこの前、清野賀子のTHE SIGN OF LIFEをレポしたところなのですが、ウォッチしていた二作目(そして絶筆の)「至るところで 心を集めよ 立っていよ」の最安値が2万台になったので光速でポチってしまいました。
一年以上ウォッチしていてずっと下がらなかったのに、手に入るときはこうもトントン拍子にいくものかと思います。

本のタイトルはパウル・ツェランという詩人の作品から採ったようです。
有名な詩なんですかね?
清野さんはタイトルを決める前に亡くなってしまったそうなので、編集者がなんかいい感じに選んだんでしょうね。

サイズなのですが、「THE SIGN OF LIFE」に比べてだいぶ小さいんですよね。
定価も「THE SIGN~」が7千円に対して、半額の¥3,500でした。

内容もかなり差があって、一作目が中判カメラで2000~01年の間に日本の各地で撮った写真を収めているのに対して、本作は年代は不明ですが東京を中心に小型カメラで撮った写真を収録しています。
前作がバシッと構図を決めた絵画的作品だったのに対して、ややラフなスナップ写真で構成されています。
もっとも顕著なのは前作に決してなかったもの――、人物写真が少ないながら(数えたところ5枚)収められています。








この本を作成中にお亡くなりになったので、何か死に関係するメッセージが含まれていないかと勘繰ってしまうのはヒトの性。
しかしそういう匂わせを見つけるのは難しいですね。

ただ読んでいて気が付くのは、芭蕉の木と学校のような建物、団地が何度も登場していることですね。
芭蕉は建物の中から撮られたものもあり、この学校のような建物にゆかりがあることを伺わせます。

全くの想像ですが、清野さん母校ではないでしょうか?
そして団地は彼女の住まい、もしくは近所の風景だったのでは?

写真を撮りながら自身の在りし日に思いをはせていたのではと、何の根拠も無いのですが思ったりします。
私の母校には芭蕉の木は生えていませんでしたが、それでもひどく郷愁を誘われる写真だからです。

清野賀子-THE SIGN OF LIFE

写真家、清野賀子の写真集「THE SIGN OF LIFE」を入手しました。

以前、須田一政のTwitterアカウントでツイートされているのを見て興味を持ち、ネット上で見れる作品を見るにつけ、その静謐さに惹きつけらるようになりました。
17年に東京都写真美術館に見に行った「TOPコレクション 東京・TOKYO」にも彼女の作品は収録されていました。

しかし何の印象も無かった……。押しつけがましさというのが一切ない(言い換えれば「地味」?)作風ですね。

自殺だそう…。どういう経緯かは何の情報も見つからず分かりません。ただただ惜しいと思います

清野さんは09年に亡くなっていて、生前遺した写真集は2冊のみ。
一冊目はこの「THE SIGN OF LIFE」(02年)、二冊目は「至るところで 心を集めよ 立っていよ」(09年)

もともと定価7千円の「THE SIGN ~」ですが中古市場では結構な高額になっていて、Amazonなんかで見ると複数の出品者から4万円台を最安として15万円~150万(?!)など無茶苦茶な値付けがされていました。
たぶん150万は桁を見間違えてポチるのを期待しているんじゃないかと思います……。
4万円でも高価に過ぎるので一年以上様子見していたのですが、ある時2万円台で出品者が現れたので、光速でポチりました。

「本当に届くのか? 状態は綺麗なのか?」と届くまで不安でしたが、美品が届き大変満足しています。







人物を撮った写真は一枚も無し。
写真集の形も珍しい横長なのは全ての写真が横向きだからですね。
01~02年の間に日本各地を中判カメラで撮ったものが収められています。
中判だからか、どの写真も精緻で美しいですね。

どこにでもあるような、殺風景な眺めが大半を占めているのですが、それでいて印象深く、心が澄むような静謐な感情を覚えるのはなぜでしょう?
国旗のような画面の分割パターンが目に付きます。

その絵画的な構図の安定感がそうさせるのかな?とも思います。
画面に見られる静かな美しさは、清野さんが心の平安を希求していた表れなのかなと、事情もよく知らないのですが思い巡らしてみたりもします。

読んで、二冊目の「至るところで~」もぜひ手に入れたいと思えてきました。
しかし今の市場価格はちょっと手が出ないので、気長に機会を待とうと思います。

ピグマリオン人形展2020

気付いたら2021年も明けて早2ヶ月が経過してました…。今更明けましておめでとうとも言えませんね…。

もう半年も過ぎてしまいましたが、去年の8月に行った「ピグマリオン人形展2020」の写真を今更ですがアップしてみようかと思います。
結構前に目黒でやったのを見に行きましたが、今回は横浜でやり、場所も鶴屋町で住まいから近いので足を運ぶことにしました。

会場はFEI ART MUSEUM YOKOHAMA
そんなに広くなかったので、見たのは10分くらいですかね。
客層は若い女性が多かったです。

入口近くに展示されてた小さい人形たち。ゴスい雰囲気が漂ってます。

こっ、これは…。コロナで有名になった妖怪「アマビエ」だと思いますが、ハードに疫病退散の願いが込められているのか相当の肉体改造が加えられています。

う、美しい。講師の陽月先生のお人形です。
半分はこういう可愛らしい人形、半分はアマビエみたいなゴシック趣味の人形ですね。

こちらも陽月先生のもの。
壇蜜を思わせる怪しい魅力を放ってますね。


コロナで展示するのは大変だったと思いますが、今年もやるんでしょうか?
横浜だったらまた見に行きたいですねー。

ミルトン・ナシメント

新型コロナが全世界的に流行してますね。
アメリカについで感染者が多いのがブラジルだそうです。

私は昔からブラジルの著名な音楽家のミルトン・ナシメントのファンなのですが、たしか結構高齢になっていたはずなので、ふと不測の事態がありはしないかと頭をよぎりググってしまいましたよ…。
どうやら変なことにはなってなさそうなので一安心しました。「最近はあんまり聴いてないな~」などと思いつつ最新の情報を調べていると、いつのまにやら伝記「ミルトン・ナシメント “ブラジルの声”の航海<トラヴェシア>」が刊行されているのを発見しました。
そうそうこういうのが読みたかったのです。早速アマゾンでポチりました。
まだ最初の方しか読んでないのですが、幼くして両親と別れてしまい養父母(しかも白人の)の元で育ったという生い立ちがあったのですね~。ドラマチックです。

私がミルトン・ナシメントの音楽にはじめて触れたのは中学3年のころですね。地元の古本屋で100円で売っていた「ベレーザ・トロピカル」というブラジルのポピュラー音楽のコンピレーションCDを手に取ったのがきっかけです。

それ以前はブラジル音楽など一度も聴いたことはなく、そもそもハワイアンか何かかと思って買ったのですが、一聴してその素晴らしさに打たれました。
それもそのはず、カエターノ・ヴェローゾ、シコ・ブアルキ、ジョルジ・ベン、ジルベルト・ジルといった超大御所が勢ぞろいで、お得に18曲のてんこ盛りですが1曲としてつまらない曲が無い!
日本で言うならさしずめ、井上陽水、さだまさし、中島みゆき、桑田佳祐、山下卓郎のヒット曲を集めたようなアルバムです。
しかしそんな名曲ぞろいの中でも9曲目の「サン・ヴィセンチ」は出色で、ミルトン・ナシメントの名が永久に脳裏に刻みつけられることになりました。
何というか、出だしから美しい裏声で、リズミカルな曲でありながら宗教音楽のようにも聞こえる今まで聴いたことのない音楽でした。
17曲目の手製楽器集団“クアウチ”とコラボしたという「アニマ」も、曲調は全然違うもののスピリチュアルな曲でこれまた素晴らしかった…。

ミルトンの写真を見たのもこのアルバムのブックレットが初めて。(↑の赤丸の人)
何となく白人かと思っていたのでちょっと意外に思った記憶があります。
ジョルジ・ベンの曲とかは如何にも黒人っぽいファンキーな曲なのですが、ミルトンの曲はファンキーとはかけ離れた上品な曲なので図らずも誤解してしまったのでしょう。

それ以来レコード店に行けばブラジル音楽コーナーを覗くミルトンフリークとなり、集めたCDは28枚にもなっていました。

一番収集熱が高かったのは大学生の頃ですね~。
新宿や渋谷のレコファンやディスクユニオンなんかに足繁く通っていました。

穴場だったのは意外にも大学の近くにあった京王多摩センター駅の「Tahara」
他所ではほとんど見かけたことのないアルバムが置いてあり、驚喜したものです。授業をサボってよく行っていました。

下はそこでの釣果、「ミッサ・ドス・キロンボス」(左)と「ミラグリ・ドス・ペイシェス」(右)

そんな思い出深い店でしたが、2009年の大晦日に閉店したそうです。時代の流れとはいえ残念ですね。

ミルトン・ナシメントの音楽には宗教的とも言いたいような神秘的な雰囲気があり、それでいてポピュラー音楽としてもばっちりな親しみやすさがあり、サイコー!!!と思うのですが、やはり長いキャリアで多くのアルバムをリリースしていると「これは…」というのもあります。
いや、もしかしたら聴く人が聞けば素晴らしいとか、時代が追い付いていない系かも知れませんが、ちょっと普段気軽に聴くにはキツイものもいくつかあります。

実は上の2枚もモロそういうやつで、私も数回しか聴いたことはないです。
「ミッサ・ドス・キロンボス」なんか、サンバとカトリックのミサが融合したような、日本人の感性からは遠くかけ離れたもので、ミルトンの入門盤としてこれを聴かされた人は前世がブラジル人じゃない限りは二度と聴くことは無いんじゃないかと思います。

そこで自分的におすすめしたいアルバムを5枚ピックアップしてみました。

  • 1978年 クルビ・ダ・エスキーナ2(「街角のクラブ2」上段左)
  • 1980年 センチネラ(「歩哨」上段右)
  • 1982年 アニマ(下段左)
  • 1983年 アオ・ヴィーヴォ(「ライブ」下段中央)
  • 1985年 エンコントロス・イ・デスペヂーダス(「出会いと別れ」下段右)

う~ん、見事に70年代末~80年代中盤に偏りましたな。この辺りがキャリア全盛期でしょう。
90年代以降になると声にちょっと陰りが出てくるように思います。
2000年以降はー、実はあまり聴いていません…。

クルビ・ダ・エスキーナ2

「ベレーザ・トロピカル」で知った「サン・ヴィセンチ」は72年の「クルビ・ダ・エスキーナ」に入っていて名盤なのですが、78年の「クルビ・ダ・エスキーナ2」はさらに充実し楽曲も粒ぞろいなのでこちらを選出しました。
これをキャリアNo.1に挙げるファンも多いはず。70年代を総括するかのような大傑作だと思います。

センチネラ

いきなりミサ曲から始まるという、ミルの趣味駄々洩れのアルバム。これは好き嫌いが分かれるかも知れません。
しかし4曲目、超絶名曲「カンサォン・ダ・アメリカ(アメリカの歌)」に全てが救われます。
これが「ミッサ・ドス・キロンボス」方面に暴走して行くんだな~と思うと感慨深いものさえあります。
作家性と大衆性が危ういバランスをとる一作ですがー、私は押します。

アニマ

これは表題曲が「ベレーザ・トロピカル」に入ってるやつですね。
全編スピリチュアルな雰囲気とキシリトールガムのような清涼感に包まれた傑作です。

アオ・ヴィーヴォ

ライブアルバムはいくつか出てますが迷うことなく一番に押せる作品です。
キャリア絶頂の瞬間ではなかったというような、艶のある声。
1曲目「コラソン・デ・エストデンチ(学生の心)」の抑揚を付けながら終盤にかけて徐々に盛り上げていく歌唱が素晴らしい。
11曲目のガル・コスタとデュエットで歌う「ソーラー」がライブのハイライト。

エンコントロス・イ・デスペヂーダス

個人的にイチオシ作品。
シンセサイザー使いまくりでいかにも80年代臭が漂うのはご愛敬ですが、粒ぞろいの楽曲が揃っています。
白眉は7曲目の「プラ・エウ・パラール・ヂ・メ・ドエール」と、10曲目のクララ・サンドローニとのデュエット「ア・プリメイラ・エストレーラ(一番星)」ですかね~。
著名なギタリストのパット・メセニーが参加している11曲目の「ヴィードロ・イ・コルチ(ガラスと切り傷)」は全編スキャットで歌われアンビエントな雰囲気です。


つらつらと書いているうちにまたミルトンの曲を聞き直したくなってきました。
御大はたしか糖尿を患っていたと思うので、コロナに感染することないよう祈っています。

ステイホームで観た映画

今年のGWはほとんど外出できませんでしたね~。
もっぱら家でテレビを観ていましたが、各局もロケが出来ず大変そうですね。
あとHULUで映画を観て時間を潰していたので、いくつか紹介したいと思います。

AKIRA
SFアニメの傑作ですね~。
昔観てえらく感激した思い出があります。
その当時はレンタルビデオ屋でVHSを借りて14インチのブラウン管テレビで観ていました。
今は動画配信サービスで40インチ液晶テレビで観ているので隔世の感がありますね。
しかし当時のように感激が無いのはまさに自分がその分歳を取ったからでしょうね。

こんな夜更けにバナナかよ
一昨年くらいに公開されて、「おっ!」となった作品。
インパクトのあるタイトルながら傑作ノンフィクションだった本作を、どう映画化したのと興味がありました。
大泉洋の鹿野は「ホントにこんな感じだったんだろうなー」と思わせるものがあります。
大学生の恋愛話は元々は無いのでやっぱり邪魔に感じました。
映画として成立させるためにやむを得ないんだと思いますが。

オール・ユー・ニード・イズ・キル
SF好きの知り合いが熱心に推してきた作品。トムクルーズ主演。
まあ面白いっちゃ面白かったですがそれほどの傑作と言えるかな~?

ギャング・オブ・ニューヨーク
レオ様主演。
南北戦争時代のNYの北斗の拳ぶりが楽しめる作品。

コンテイジョン
今回のコロナ騒動を予言したようだと噂の作品。
最後にDAY1を持ってくるのが心憎い演出でしたね。ただちょっと退屈だった。

白鯨との闘い
もっとゴジラ並みに闘うのかと思ってたのでちょっと退屈だった。

ブラック・スキャンダル
ジョニーデップが禿げ上がった前頭部さらしてひたすら犯罪道を往く作品。
自分、こういうクライム物好きっす…。

スティーブ・ジョブズ
たぶん私の仕事がIT系だからでしょうが、最近観た映画の中では一番良かったですね。
ジョブズの畜生ぶりを描きつつも、基本的にはジョブズサイドの内容です(そりゃ自伝映画だから当たり前か…)
実際に上司や同僚がこんな人だったら嫌でしょうねー。ミスターナイスガイでは世界は変えられないと言うことでしょうか。

私はスティーブ・ジョブズの偉さがイマイチ良く分からず、共同創業者のウォズや自身も天才的なプログラマーだったビルゲイツの方がよっぽど好きですね。
ただアップルを首になった後取り組んだNEXTSTEPは、ほんのちょっとしか出てきませんでしたが、当時としては先進的で素晴らしい功績だったと思います。
そこで培ったテクノロジーがアップルにカムバックした際にMac OSXとして結実するのが胸熱なのですが、マニアックすぎるからか触れられなかったのがちょっと残念です。

Hulu

う~ん、だいぶ長いこと更新をサボっていました…。
前回が須田先生の逝去に触れたまだ寒い3月の投稿。それから5カ月経て元号も変わり、いまは灼熱の8月です。
仕事(が80%)、家庭ともに忙しく、ブログを更新する余裕がありませんでした。
特に6、7月は目が回るほどの忙しさだった…。
写真もあんまり撮ってないですねー。悲しい。
この頃やっと落ち着いてきたので、ちょっとずつペースを戻していけたらと思います。

とは言え、忙しい忙しいでやってきたので特に書くべきネタも無い。
たまの休日は疲れて外出したくなかったです。
もっぱら家でHuluを観て過ごしてました。
なので、観た映画の中で面白かったもの、印象に残ったものを記しておこうかと思います。

300(スリーハンドレッド)
前々から見たいと思っていて、Huluで最初に見た映画です。
スパルタとペルシアとのテルモピュライの戦いを描いた作品ですが、公開当時も物議を醸した過剰な演出が大変楽しめました。
自分の中では一番面白い作品かも。
ただ続編はイマイチでした。

アポカリプト
舞台は古代マヤで、生贄の儀式を中心にしたストーリーです。
私は古代の中央アメリカの文明に興味があるので楽しかったですが、これも超バイオレンスな演出で観る人を選びそうです。
私の中では裏No.1

ゴッドファーザーⅠ・Ⅱ・Ⅲ
シリーズ全部見ました。どれも長いです。
結構クライムムービーは好きですねー。
ゴッドファーザーシリーズは独特な重厚感を感じます。
ヴィトー・コルレオーネの存在感がスゴイ…。

エスコバル 楽園の掟
堅気のカナダ人から麻薬王エスコバルの横顔を捉えた作品。
怖い人には近づかないのが一番ですね…。

プラトーン
戦争物は、フルメタルジャケットとかプライベートライアンとか有名どころを観ましたが、これが一番気に入りました。

ビューティフルマインド
色々と考えさせられた作品。
統合失調症って怖いね…。

イミテーション・ゲーム
第二次世界大戦中に、「エニグマ」というナチスの暗号を解読するために尽力した人たちを描いた作品。
アラン・チューリング(超偉人)のサイコパスぶりを演じるベネディクト・カンバーバッチが実に良いと思います。

プロメテウス
エイリアンやプレデターシリーズは大好物で良く観ていたのですが、その中でNo.1
だた、シガニー・ウィーバーの出ていないエイリアンは気の抜けたコーラのようで、決して映画として素晴らしいという訳ではないです。
公開当時の「人類の起源」という誇大広告なコピーが頭に引っかかっており、肩透かしっぷりがスゴイな、と。

アバター
ストーリー、映像ともに素晴らしい。現代の古典では?
でも何よりシガニーが記憶に残りますね。ナヴィ化してもなお「シガニー」なのはスゴイ。本物のスターの持つ個性ですね。

インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア
レスタトを演じるトム・クルーズはめちゃ美形ですね…。
なんか最後元気になっちゃって、良く分からないハッピーエンド感が好き。

レインメーカー
プロレスファンの私には別の意味を持つ「レインメーカー」
主演はジョン・シナ――、じゃなかった。マット・デイモン
せっかくだからと観てみましたが素晴らしい映画でした。
監督コッポラなんですね。

ウルフ・オブ・ウォールストリート
マーティン・スコセッシ監督作品。
「沈黙」の監督なので、渋いのかなと思っていたらそんなことはなく、ひたすら常軌を逸する馬鹿騒ぎを描きウォール街のヤバさを教えてくれます。
Huluでは同監督の「ディパーテッド」も観れますが、こちらも方向性が違って見えるので私にとっては掴みどころのない監督です。

小春日和

今日は東京では20度くらいまで気温が上がって、春のような陽気でした。
陽気に誘われて上野公園に出掛けたのですが、やはり混んでましたね。
園内には所々に早咲きの桜が咲いていて、写真を撮る人達で人だかりになっていました。

こないだ買ったコートを着て出掛けたのですが、あまりに暑く脱ぐのやむなきに至りました。ホント、パーカーくらいで充分でした。
暖かくなるのは嬉しいですが、折角買ったコートの出番が減るのはちょっともったいない気がしています。

さて、東京都美術館で美術系学校の卒業制作の展覧会がやっていたので、無料だったので観てきました。

なかなか尖った作品が多く興味深く観ました。
それから小中学校の展覧会もあったので、時間もあったのでそちらも観ました。

先の美術学校に比べるとかなりのお遊戯臭ですが、ほっこりできて私はこういうのも好きです。

しかし中には目を見張るものもあり、上の原爆ドームの版画などソラリゼーション的効果をわざと狙ったのでは?と思わずおののきました。

絵皿の意匠も端正過ぎてほんとに中学生の作品かと疑うほどです。

美術館を出たあとは、不忍池をぐるっと一周して帰りました。

「春遠からず」
習字の題字でした。

第43回 私立中学高等学校生徒写真・美術展

3連休は初日こそ晴れたものの、下り坂の天気でした。
今日などは朝から雨がしとしとして、底冷えするようで、なかなか布団から離れられず…。
休日でよかった。

東京都美術館で「第43回 私立中学高等学校生徒写真・美術展」が11/18~23の会期でやってたので観に行きました。
去年も観に行ってなかなか良かったので。
「人・形・展」同様恒例になりつつあるかも。

中高生の写真の魅力って何でしょうね?
正直言って作品自体がすごく素晴らしいってわけではないと思います。
著名なカメラマンの写真は一目でその人と分かる個性を放っています。
でも中高生にはそんな個性を充分に伸長させている時間はないので、撮れたありのままが出ているように思います。
一定の様式に収まらない、「開いた」感じがします。
それでお客さんも肩ひじ張らず観れるのではないでしょうか?

写真OKそうだったので、気になったのを撮らせてもらいました。

特選はいくつかありましたが、一番気に入ったのはこれです。
白黒とはシブイ。
ハイキーな画が牛腸茂雄をほうふつとさせます。

これは一般作ですが、托鉢僧をモチーフにするとは高校生らしからぬシブさです。

観ていて気付いたのですが、学校ごとにカラーがあるような気がします。
もちろんバラバラなところもありますが。

この学校のは、どれもケータイで撮ったような荒い画質で、わざとチープ感を出しているように思えました。

この学校はみんな白黒。
しかも被写体のチョイスがシブすぎまいか…。
顧問の先生の影響とかでしょうか?

この学校は不定形の被写体を選んでいるような気がする。
まぁ単に思い込みかもしれませんが、学校ごとの「組写真」として鑑賞するというのは今回発見して、なかなか楽しめました。

さて、展示は写真ばかりではなく絵画もあります。

これは特選に選ばれていた作品。
平坦な色面を組み合わせながらも、深い奥行きを感じさせる立派な構成力です。
中学生でこれとは恐ろしい。

個人的に最も気に入ったのはこの作品。
色の配置のバランスが好きですね。

美術系の学校の生徒の作品。
やはり上手い。

別の学校。
一つ一つを見るとやる気を疑うところですが、こうやって並べるとそれぞれ単純化された形態を志向しているように見えます。

う~ん。先生がテーマを指定したのでしょうか?
せっかく展示されるのだから、好きに描かせてあげたら良かったのでは?

観てる側が好き勝手言えてしまうというのがこの展覧会の魅力なのかも知れません。
しかし確かにパワーをもらったように思います。
そこで足取り軽く、このあとは谷中霊園に向かったのでした。

須田一政『凪の片』トークイベント

東京都写真美術館で展示中の須田一政『凪の片』ですが、11月2日、そのトークイベント第二弾に行ってきました。(前回の記事はコチラ)

前回は昼過ぎに行って整理券10番台が余裕で取れたので、今回も同じくらいの時間で行ったところ、なんと50番台!
ヤバイ、油断してたら入れなかったかも。
この人気の違いは、ゲストの違いかもしれません。
今回のゲストは写真家の鈴木理策さん。
不勉強なもので存じなかったのですが、木村伊兵衛賞を獲った高名な写真家だそう。
坊主頭にヒゲで、ガッチリ系という何かを感じさせずにはいられないルックスです。
お二人の関係は同じ東京綜合写真専門学校出身ということ。
同校で鈴木さんが卒業後、助手として働いていたところ、須田先生の受け持っている授業を手伝うことになり親交が深まったそうです。

さてトークイベントが始まる前に、会場入口そばの本屋で物色していたところ、ななななんと、須田先生降臨!
ジャンパーのような黒ずくめの服に身を包んだ先生は、想像以上に小柄な方でした。
ご自身の作品の並べられたコーナーで写真集を手に取ってご覧になっていました。
そう言えば、「わが東京100」が復刻され、平積みになっていたのですが、そのお値段¥8,400!!!
「高すぎやしませんか?!」
と、とうぜん言えるはずもなく、遠巻きに眺めるしかなかったのでした。

整理券は後のほうだったので、会場に入った時には既にだいぶ席が埋まっていましたが、幸いにも前列の席が開いていました。
で、定刻になって須田先生、ゲストが入ってこられると、先生はほぼ目の前のテーブルに座られました。
ラッキー!
鈴木さんはスクリーンを挟んでちょっと離れたテーブルに座られました。
東京都写真美術館の学芸員の丹羽さん(女性)が司会で、先生と鈴木さんの対談が進んでいきました。

前回のトークイベントで、須田先生あまり話しておらず「寡黙な方なのかな」と思ってたのですが、今回はけっこう話され、しかもたくさん笑いをとっていました。
どうも前回はゲストの鈴木一誌さん(この人も「鈴木」だわ…)が喋りまくってたので聞き手に回ってしまったようです。
対談は1時間半で、色々な話題を、しかも長く話されたので、お話自体は大変興味深く面白かったのですが、メモしていなかったので大分忘れてしまいました。
覚えている印象深いエピソードを思いつくまま書き出してみます。

恐山

『凪の片』でも最初期のシリーズとして恐山の写真が展示されていますが、その当時は恐山を撮るのが流行ったそうです。
内藤正敏なんかも撮っていますね。
で、須田先生は東松照明の撮ったものが最もその場所の雰囲気が出ていて良いと考えているそうです。
でも東松照明の様に撮ろうと思っても、それは東松氏の空間感覚のなせる技なので、ダメだったとか。

須田先生と鈴木理策さんは一緒に恐山に行ったことがあるそうです。
(それが「Piles of time」という写真集にまとめられて鈴木さんは木村伊兵衛賞を獲った)
途中の道中で色々と写真論を交わしたそうですが、先生はすっかり忘れたとか。
鈴木さんは、須田先生の写真を撮る早さに舌を巻いたそうです。
逆に先生は、鈴木さんの手水舎の柄杓から滴っている水滴に何度もシャッターを切る姿に、作家独特の視点を見て感心したとか。

変わりたい?

須田先生は、かなり初期から「須田調」と言われる黒っぽい画面を完成していたのですが、お世話になった写真評論家の方に「黒焼きに頼りすぎてる」と言われ、画風を変えようと苦心した時期があったそうです。
先生はカメラへの執着はほとんどなく、個展が終わると機材を売却してしまうそうです。
そんな風にカメラを次々と代えて新たな方向性を模索したそうですが、結局何も変わらなかったと仰っていました。
先の東松照明の話とあわせて考えると、写真家というのは持って生まれた固有の空間感覚、色彩感覚、トーンの感覚を表現するものなのかなと思います。

写真と妄想

以前はそうでもなかったそうですが、この頃「妄想」に突き動かされて写真を撮ることが多いそうです。
「妄想」というのは、まあイマジネーションのことなのでしょうが、先生が「妄想」と仰っているので「妄想」とします。
よく写真を撮るルートの途中に廃屋があるそうです。
どこにでもありそうな廃屋なのですが、非常に妄想を掻き立てられるそうです。
廃屋の軒先にひょうたんがいくつかぶら下がっていて、そのひょうたんに水が溜まっていて、そのせいで不規則に揺れるのだとか。
夜にその場所を訪れると、近くの自販機の灯りがフットライト気味にそのひょうたんにに当って、この世のものとは思えない不気味さを醸し出しているのだそうです。
そんな風に、一見つまらない風景からいろいろと観想して撮ることが多いとか。

ショートスリーパー

先生はまともに布団で寝ることは無いそうです。
いつもカウチなんかで3時間くらいしか寝ないとか。
夜中にフト目覚めて、車に乗って写真を撮りに出掛ける事も多いそうです。

ホーム

生まれも育ちも下町、神田の須田先生。
写真学校の授業や、以前やっていた「須田塾」なんかでは神田から出発してその周辺でスナップ写真を撮ることが多かったとか。
地域の旨い料理屋や居酒屋などにも精通しているそうで、時間が終わりに近づくと一杯やりたくてウズウズしてくるそうです。
「旨いものを食べたり、旨い酒を飲むのを第一にしてきた」と仰っていました。
その態度、見習いたいです。
しかし新宿、渋谷なんかはアウェー。
どうにも落ち着かず「早くお家に帰りたい」と思うそうです。

写真を見られる興奮

今回の写真展のタイトルでもあり、最新シリーズでもある「凪の片」は学芸員の丹羽さんがセレクトしたそうです。
しかも、須田先生の目の前で選ぶことになり、たいへん緊張したとか。
で、先生の方は作品を選ばれることに高揚感を覚えたそうです。
そう言えば前回の対談でも、他人の目を通して自分の作品がどう見られるのかということに興味を覚えると仰っていました。

「変態」と言われて興奮

鈴木理策さんからのタレコミ。
街中で撮影していると上記のような心ない言葉を浴びせられることがあるそうな。
許可も取らず、盗み撮りのような真似をしている方が悪いという意見もありますが、そこはひとまず置いておいて。
で、そう言われたその晩、先生は興奮して眠れなかったそうです。
何故…?

マネキンを撮って興奮

前回もちょっと話してらっしゃいましたが、先生のマイブームはマネキンを撮ることだそう。
早朝四時に、千葉から銀座まで出てきて、ショーウィンドウのマネキンを撮るそうです。
朝、掃除などをしている人たちの間では「また変なオヤジが来た!」と囁かれているとか…。
近頃では慣れたもので、15分くらいで撮影ルートを回れるようになったと仰っていました。
何故マネキンなのかというと、先生はもともと人体の一部分にフェチズムを覚えるタチだったそうです。
それで、最近のマネキンは筋肉の付け方など、かなりリアルになってきていて、生身の人間以上にすら感じられるそうです。
更にマネキンの足首には固定するために留め金がついているそうですが、それが「美しき囚われ人」というSM的な妄想を掻き立てられるそうです。
そう言えば先生の近著に「RUBBER」というSM的な作品があり、ちょっと自分には意外に思われたのですが、SM嗜好は先生の中では以前から持っていたもののようですね。

一連の対談を聴いて、「ああ先生まだまだ元気だなァ」と変に(?)安心しました。
ひょうたんとマネキンの写真、是非とも見てみたいです。
さらなるご活躍を期待しています。

最後にこの日の恵比寿ガーデンプレイスの風景を。
もうクリスマスツリーとは気が早い。