渚園はレジャーセンターで、野球場、テニスコート、キャンプ場などの施設があります。広大な駐車場を備えているのですが、今日は超満車で、なにか駐車区画でないところにまで停めていました。
受付で自転車をお願いすると、一台だけ残っていました。同着で来たカップルがいたのですが彼らには十分な台数がありませんでした。わたしは大変ラッキーなことに、最後の一台を借りられたのです。
用紙に氏名、住所、電話番号を書き、レンタル料の五百円と、保証金千円を払い借り受けました。保証金は元のターミナルに返却すれば返ってくるのですが、別のターミナルに返すと「乗り捨て」ということで徴収されてしまいます。
実はこの時点では乗り捨てるつもりでいました。自転車で湖を半周し、三ヶ日駅ターミナルで乗り捨て、そこから天龍浜名湖鉄道で新所原に出て、東海道線でその日のうちに名古屋に帰るという計画だったからです。
わたしは意気揚々ママチャリを漕ぎ出しました。その時十二時半でした。
渚園を出てすぐに、右手に庄内湖、左手に浜名湖を望む、浜名湖大橋に差し掛かりました。とても長く、そのうえものすごい強風だったので、荷物が吹き飛ばされるのではないかと心配でした。
橋が終わりに近づくと、浜名湖ガーデンパークの展望台が見えてきます。パークの前を横切って村櫛海岸の長いストレートロードに入ります。ここからは眺めも道も最高で、気分爽快でした。
しばらく走っていると庄内というちょっと陰気なところに差し掛かります。山側の鬱蒼とした林が道路に迫っていて、ワイルドな雰囲気です。それから、自転車道と湖面の高さが近いのか、波しぶきがバシャバシャと打ち寄せてきて道路を濡らしていました。強い磯の香りが鼻を突きました。
この辺りから舘山寺温泉の建物群が見えてきます。まるで湖の中に建つお城のようで、かなり感動しました。舘山寺に付いて、ちょっとホテルやお土産物屋の周りをうろうろした後、湖岸沿いに浜名湖パルパルという遊園地の裏を回ります。ここの道はかなり狭いです。落ちやしないかと冷や冷やしました。
大草山をバックに、観覧船が通っているのが見えました。今回は見るだけでしたが、またの機会があればぜひとも乗ってみたいですね。
月別アーカイブ: 2010年5月
浜名湖
5月2日から3日にかけて、浜名湖一周の旅に出てきました。
普段は新幹線で通過してしまうだけの場所だったのですが、車窓からの美しい湖の眺めに前々からあこがれてたのです。
2日の早朝、わたしは突如として思い立ち浜名湖一周プランを立てました。スタート地点は東海道本線の豊橋と浜松の間にある弁天島駅です。
その日の正午に弁天島に到着しました。天気は快晴。さわやかな風吹く、絶好の行楽日和でした。
ここは浜名湖の河口からちょっと北にある埋立地で、国道一号沿いにはホテルや食事処などが並んでいます。
湖の周りにはいくつかレンタサイクルのターミナルが設けてあって、弁天島にもあります。そこで自転車を借りて回ろうと考えたわけです。
大鳥居が見える海岸へ降りますと、ものすごい人です。潮干狩りを楽しむ家族連れでした。
レンタサイクル店を見つけ、受付のおばさんに自転車を借りたい旨を伝えます。ところがぎっちょん、自転車はすべて借りられてしまいもうないとのこと。確実に借りるためには予約が必要だったそうです。すべて出てしまうことは珍しいのだそうですが、やはりGWですかね。
おばさんに渚園という埋立地北部のターミナルに行けばあるかも知れないと教えられたのでそこへ向かいました。途中には釣具屋、貸し船屋、しらすやうなぎなどを売る物産店が点在しています。細い通りは車でごった返していました。
RE:DIY
実を言うとこれはジュースをアルコール発酵させようという試みでした。
ネットの世界で静かに流行っているのです。興味のある方は「猿酒」でググってみでください。
一週間放置するとグレープジュースはワイン風の飲み物に醸し上がります。
発泡性にしたかったので、「プライミングシュガー」という少量の砂糖(水に溶けやすいものが良いのでわたしはヨーグルトに付いているやつを使った)を加えて瓶に詰め、もう二三日寝かせます。
あとは冷やして飲む!
自分で作ったという贔屓目もあるのでしょうが、意外といけます。
アルコール分はビール以上ワイン以下といったところでしょうか。
ただドライイーストを使ったので、パン臭があります。ワイン用のイースト(東急ハンズに売っているらしい)を使うと匂いが無くて良いそうです。
ああ、試したい。危険な道に嵌ったかな?
ハイマチックF
西アサヒ
ついにGWはじまりましたね。
しかしわたしは特にどこにも行く予定がなかったので、名古屋駅近くのビックカメラに足を運びました。
写真用具をいくつか買った後、特に目的もなくぶらぶらしたのですが、道中ですごいレトロな喫茶店を発見しました。
普段はあまり喫茶店などには入らないのですが、そのひなびた風情に引き寄せられて門をくぐってしまいました。
家に帰ってからネットで店名を検索してみますと、けっこうヒットしました。やはりそのレトロさ(戦前からあるとも言われる)とB級グルメが話題になっていました。
そこでわたしもいっちょレビューしたいと思います。
店の名は「西アサヒ」
西区那古野にある円頓寺商店街の中にあります。
名古屋駅の桜通口からまっすぐ五百メートルほど進みますと、高速と交わる十字路に突き当たります。そこで左手に折れ、名古屋国際センタービルの前を通って、高架沿いに六百メートルほど進むと右手に「円頓寺」と書かれたアーケードが見えてくるはずです。
県道200号と接続する明道寺交差点まで行ってしまうと行き過ぎなので戻りましょう。
店もそうなのですが、この商店街自体がかなり古く時代の断層を感じます。しかし人通りはそこそこあり、活気を感じました。
今日は何か特別な日だったのか、アーケードの中で中学生たちがブラスバンドの演奏をしていました。
最初にこの古ぼけたサンルーフが目に入ったとき、二三歩後ずさったかと思います。濃密な昭和の雰囲気に圧倒されました。非常に心惹かれるものを感じましたが、同時に「一見さん」を頑なに拒む門のようにも思われたのは確かです。
しかしわたしは垣間見たのです、店の奥にお社のようなものが祀られているのを。
好奇心に抗うことは出来ませんでした。
入口は吹き抜けになっており、往時はモダンだったのでしょうが、圧倒的な時間の堆積が古臭さを感じさせる意匠に変えてしまっています。
頭上にはブラウン管テレビが据えられプロ野球のデイゲームを流していました。
入口のすぐそばのケースの中にはレジンでできたパフェが置かれ、その退色の具合がいまや決して提供されることがないことを物語ります。
その上には変なミシュランマンの置物。
マスターと思しきおじさんに促されて、例のお社のある中庭からボックス二つ分離れた席に腰をおろします。
すぐにウェイトレスのおばさんが注文を取りにやってきました。
しかしメニュー表が無い。要求すると出してくれました。タマゴサンドが700円、コーヒー350円。う〜ん、ある程度は覚悟していたとはいえ高くないでしょうかコレ? しかし席に座ってしまったからには仕様がありません。タマゴサンドとアイスコーヒーをオーダーしました。
料理を待っている間にじっくりと店内を観察させてもらいました。
お客はみな常連と見え、野球中継を見たり、黙々と食事をする姿は店の調度と完全に溶け合っていました。
老朽化が目に見えて進んでいて、天井のパネルは隙間が目立ち、なんだか今にも剥げそう……。起毛のソファーは色あせ、だいぶくたびれています。置かれているガスヒーターはびっくりするほど古いデザインで、熱とともに一酸化炭素までも放出するのではないかと心配になりました。
おもむろにカウンターに目を向けると、ふたりのおばあさんがオーダーを受けて料理を作っていました。
後ろの棚にはダルマや高級酒の瓶が陳列され、ブランデーグラスが並べてあるなど飲み屋の風情でした。もしかしたら昔はスナックか何かで途中でカフェに鞍替えしたのかも知れません。
雑誌は新しいものが十種類くらい。新聞も中日新聞が用意され、近隣住人の情報収集の場としての機能を果たしているようです。
本棚も古ぼけてなかば壊れているのですが、北斎などの大型の美術書が置かれているのが目を引きます。
こんなデカイもの開いて観る人はいないと思うのですが、ディスプレイでしょうか?
それからなぜか荒木経惟や遠藤正といった作家のヌード写真集がたくさんありました(辺見マリとか松坂慶子とか)
わたしの後ろに座っていたおじさんは何冊も引き出して読み耽っていました。
二十分弱くらいしてオーダーが届きました(タマゴサンドは時間がかかると言われていた)
来て見てびっくり、なんという厚さ……。玉子焼きをそのまま挟み込んでいるのです。見た目の豪快さとは裏腹に、ふんわりとしてほのかに甘く、美味です。
しかしというかやはりというか、淡泊な味なので飽きます。キュウリのシャッキリ感に助けられてどうにか食べ切りました。
アイスコーヒーは普段口にしているものよりはだいぶ酸味が強かったですね。
アイスで飲むぶんにはそのほうがいいですよね。
さてこの喫茶店の最大のスペクタクルとも言える中庭。長テーブルで食事をしていた人たちが立ち上がったタイミングを見計らって撮りました。携帯で盗み撮りしたのでちとブレています。
それにしてもなんという珍妙な光景でしょう。わたしなら日本の奇景一〇〇に推薦します。一体いかなる理由でこうなったのでしょうか? 元は料亭で、その名残であるとか? そうすると料亭→スナック→喫茶店という変遷の形跡をそのまま店内に留めている事になります。
しかしわたしが頭を抱えていることなど与り知らぬというように、西アサヒの住民たちは新聞を繰ったり、野球中継に目を瞠ったりしているのでした。
こうして今日も一ミリ一ミリと歴史は堆積していくのでしょうか。