RE:新門司

 歩いているうちに夕刻となりました。
 夕日に照らされて石灰岩の崖が美しく輝きます。
 まるでビーナスの白い前歯です。

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RE:新門司

 これはわたしが一番好きな建物です。
 白い古城のような雰囲気があります。
 内部は石灰の粉が雪のように堆積していて、幻想的な空気が漂っています。

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RE:新門司

 採石場の周囲の施設群です。
 人気は全く感じられませんでした。
 
 三枚目の写真の、今は土台のみとなっている工場に、実は子供の頃忍び込んだことがあります。
 当時も廃墟同然でした。「平凡パンチ」が落ちていてびっくりした思い出があります。

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RE:新門司

 竹馬川を渡るために沼南町のあたりまで遡上します。
 川を渡った後は、浄水場を左手にして折り返し、しばらく堤防沿いを進みます。
 ニュー小倉ゴルフクラブのそばまで来ると間島が間近に見えます。
 ゴルフクラブの前を横切って、採石場前の道に出ます。この道は歩道もなくとても狭いので、歩いていてとても不安を覚えます。
 
 道路脇の茂みに埋もれるように立っているバス停を見つけました。
 一日四本です。誰か乗る人はいるんでしょうか……。

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RE:新門司

 堤防からは右手に苅田町松山、正面に間島、左手に吉田の採石場が見えます。海は引潮で、広大な干潟に川のような水の流れが筋を作っていました。
 海岸沿いに北へ歩きます。途中、撮影機材を抱えた集団とすれ違いました。バードウォッチングの愛好家と思われます。
 旧北九州空港の傍を通りかかると、海上の飛行機灯火が間島に向かって並んでいるのが見えました。現在ではメンテされていないらしく、倒壊の危険があるそうで、周囲の海上を立入危険区域に指定する掲示がされていました。

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RE:新門司

 天気はうす曇り。海よりの弱い風。時折日差しが顔を出します。
 県道25号線を下曽根から朽網に向かって下り、日産のショールームを過ぎたあたりでポンプ場に向かって左折します。
 田んぼの中を通って、途中JAの低温倉庫の横を通り、周防灘を目指します。
 この辺りの水田の区画はさいの目状に切られており、道路は真っ直ぐに伸びています。
 道は海岸沿いの堤防の手前でクリークに遮られていたので、ちょっと回る必要がありました。
 行き止まりになっているところには不法投棄されたゴミがあちこちに転がっていて、胸が痛みました。

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新門司

 地元ネタその二。
 実家のそばの隠れた景勝地(とわたしは思っている)新門司を紹介いたします。
 
 門司港は北九州の北端に鼻のように突きだした企救半島の西の側面にあり、関門海峡を挟んで山口県下関市と対向します。
 新門司港はその逆、太平洋側の周防灘に面しています。この港の周辺が新門司です。
 観光客で賑わう門司港レトロ地区にたいしてちょうど後背の位置にあります。そのため、「裏門司」と呼ばれたりもします。
 
 港の周辺は工業団地になっています。特に目を引くのは白い垂直の岩肌を晒している採石場でしょう。
 その足下を這うようにして狭い道路が通っていて、傍らに打ち捨てられた古城のようなコンクリート工場がひっそりと佇んでいます。
 そのうらぶれた風情がわたしは好きです。
 
 新春の一月二日。曽根新田から、恒見までを海岸沿いに歩きました。
 その様子を写真とともに紹介したいと思います。

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小幡緑地

 連休最終日は気持ちよく晴れたので、なんとなく気になっていた、名古屋市守山区にある「小幡緑地」に遊びに行きました。
 交通手段はこれまたなんとなく気になっていた、「ゆとりーとライン」です。
 「ゆとりーとライン」とは、名古屋ガイドウェイバスの別名であり、ななななんと、モノレールのような高架の上を走るバスのことです。
 その存在を知ったときには「なぜバスなんだ?」と頭を抱えてしまいましたが、渋滞しがちな市街地では高架を走り、郊外では一般車道にコンバートできるという利点をもっているんだそうです。採算とれるのかなぁ。
 しかし眺めは抜群です。住んでいる町を上から見下ろせて気持ちよかったです。動画に残したかったくらい。
 
 十五分ほど揺られて「小幡緑地駅」に到着しました。写真は駅の様子です。
 公園は親子連れでいっぱいでした。紅葉真っ盛りで、雲一つない空に映えてとてもきれいでした。
 市内にぽつんとある緑地なのですが、丘陵地にあり、遊歩道が整備されていて、良いハイキングコースになっていました。
 園内には大小四つの池があって、変化に富む地形です。
 二時間ほど自然を満喫しました。
 思えば去年の今頃は高尾山に登っていたのでした。わからないものですね。
 
 ちょっと奇妙だったことは、近接するゴルフ場の近くに、御花弘法大師像という大きな仏像がにょきっと建っていたことです。
 裏に回ると台座の口が開いていて、中はがらんどう。そしてびっしりと落書きでいっぱいでした。
 周りには小さな大師像が点在しており、不気味なことに首のないのが多かったです。そして首の代わりにみかんくらいの大きさの小石が置かれていました。
 信者の方の手によるものでしょうか、その小石にも毛糸の帽子と涎掛けが結んでありました。なにか故のあることなのでしょうか?

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日本パソコン旅日記

 パソコンを使った旅の情報収集法や、記録のまとめ方などを紹介した本です。しかし、あまりパソコンとは関係のない紀行文が大部分を占めています。
 初版は十年以上前の97年。そのためインターネットにはあまり触れられておらず、「駅すぱあと」とか、「ニフティサーブ」などという郷愁を誘う言葉が頻出します。
 内容は完全に陳腐化しているでしょう。今は旅先から携帯でブログを更新できる時代ですから。いま出すなら「日本ウェブ旅日記」でしょうね。
 しかし、それを分かっていながらこの本に手を出したのは、十年前と今とで何が大きく変わり、逆に何があまり変化していないのかに興味があったからです。
 
 画像や動画といったコンテンツ自体はそう大きく変わっていないような気がします。たぶん(クオリティは別として)今でも普通に見られるでしょう。
 ただ、パソコンの中で使うパッケージソフトがどうしようもなく古い。いかに有益な情報だとしても、特定のソフトに依存してしまうようなデータは一顧だにされないでしょうね。
 そう考えると、特定のOSだとかブラウザに依存しないインターネットの世界は簡単には陳腐化しない気がします。
 
 逆に大きく変わりそうなのが、ハードの方です。
 十年後にはパソコンに代わって、携帯電話や、PSPやDSのような携帯ゲーム機がインターネットを利用するメインの機器になると思います。
 利用とは閲覧するばかりではなく、記事を投稿したり、保守をしたりすることも含まれます。
 でも親指だけで操作する携帯も難儀ですが、十字キーと数個のボタンしかないゲーム機でどうやってそれをするんでしょうかね?
 おそらくATOKを更に発展させたような強力な入力支援ソフトが作られるようになるのでしょうね。そしてサイト側にもそれを支援する仕組みが求められそうです。
 モバイルを意識することがウェブサイトの陳腐化を防ぐことにつながるのではないかと思いました。

放送ライブラリー

 三連休は会社の先輩の結婚式に出席するため、横浜へ行ってきました。七月に引っ越して以来ですから、三ヶ月ぶりということになります。
 式は連休初日の土曜日で、その日は関内にある横浜スタジアムそばの東横インに泊まりました。
 この旅の真の目的が近くにあるからです。
 
 翌日は早起きしてロビーで朝食を採り、それから大桟橋の方へ散歩に出かけました。
 空は雲一つない快晴で、眩しいくらいの日差しが降り注いでいました。ほんの少し冷たい秋風がさわやかな気分にさせてくれました。
 十時にホテルをチェックアウトして、横浜情報文化センタービルに向かいます。ここはレンガ作りの重厚な旧横浜商工奨励館を底部に残し、地上十二階建のビルを載せたユニークな造りになっています。一階には上品ですがお値段も相応に高いレストランが入っています。
 今回用があったのはここの八階にある、放送ライブラリーでした。
 ここでは過去に放送されたテレビ番組や、ラジオをなんと無料で視聴することができるのです。お目当ては、テレビ埼玉で99年から01年にかけて放映された、「鎌倉街道夢紀行」です。
 時間はたっぷりあったのですが、五十二本もあったのでとてもすべては見切れず、東京と神奈川を歩いた回を重点的に観ました。
 府中や、川崎を歩いた回では見覚えのある風景にじわっと懐かしい気分になりました。
 圧巻は、鎌倉への最後の難所「大仏坂切通し」でしょうか。当時の雰囲気をそのまま現在に伝える勇壮な風景でした。
 
 通して観たことで意外な発見がありました。パーソナリティーの村松健さんの服装が毎回変わっているのです。12分番組なので、まとめて何本か撮っているいるのだろうと思っていたのですが、さにあらずでした。それだけ手が込んでいたに違いないと改めて感心いたしました。
 しかし、こんなことを言っては良くないですが、初期の健さんの服装はかなりダサイです。そしてあまりカメラに慣れていない印象。インタビューの時くらいはポケットから手を出してはどうでしょうか……。
 ただ、「中山道 風の旅」ではぐっと洗練されているので、その間にいろいろ考えるところがあったのでしょう。
 
 目的も果たせて、思い出深い旅になりました。