北村薫トークイベント当日編

待ちに待った、北村薫先生のトークイベントが開催されました。
昨日でした(10/21)
場所は、北千住にある足立区中央図書館の入っているビル(学びピア21)の四階講堂です。
13:00開場、13:30開始。
開始10分前くらいに入ったのですが、すでにステージそばの席は埋まっていたので、仕方なく後ろの方に上って行きました。
席は8割がたというところ。
高いところから観衆を眺めてみると、男女比は若干女性が多め。ティーンネイジャーはどうもいなさそうでしたが、それ以降の年齢層はおよそまんべんなくいるように見えました。

開始時間が来ると、まず図書館長の挨拶があり、その後先生の登場です。
おお、生北村薫! 残念ながら席が遠いのであまりはっきりとはお顔が見られません。
しかしお年六〇を越えているのに、髪は黒く、薄くもなく、若々しく見えました。

プログラムは、「書く」「読む」「編む」をテーマとした三部構成となっていて、事前に参加者から寄せられた各テーマごとの質問に対して答えてもらうというものでした。

「書く」は北村薫の作品づくりに関する質問です。確か五つくらい寄せられていました。
どんな質問の答えだったか失念しましたが、先生は時系列表を作らないそうです。
これはちょっと意外というか感心しました。というのは小説を書く場合には矛盾が出ないように時系列表を作るもので、「小説の書き方」みたいな本でもだいたい、執筆前の準備として勧められています。
絵画でいうならば、アタリを付けずにいきなりカンバスに絵の具を塗るようなものでしょうか。
それでいて、だいたい思った通りの構成に仕上がるのだといいます。
すごい! 物語の仔細が丸ごと頭に入っているからこそなせる技でしょう。

それから同じテーマでニヤッとしてしまう質問がありました。
続編を書く予定のシリーズはあるのか?というものです。
先生は、「『私シリーズ』(デビュー作「空飛ぶ馬」から続く)のことを言ってるのでしょう?」と質問の意図を看破し、難しいと仰っていました。
理由は「『私』に男が出てくる作品は書きたくないから」
答えに開場は笑いに包まれていました。(確かにそれはわたしも読みたくない)

先生にとって『私』さんは特別なキャラクターなのだそうです(それは彼女にだけ一人称で漢字の「私」を使っていることにも現れているとか)
それゆえ軽々しく書くことが出来ないそうな。
もはや娘のような感じなのか…?
そういえば、シリーズ最終作の「朝霧」ではなんかラブアフェアに発展しそうな感じで終りを迎えます。
大学四年間、更には就職してからも男気なしでやってきた『私』さんに人前の経験をさせてあげようという親心だったのかも−−−。だが、それ以上はやっぱり許さん!みたいな?(勝手な想像です)

次のテーマの「読む」
必要な書籍とか資料をインターネットで手に入れられるようになり便利になったと言った後、しかし逆にかつて本好きがやっていた古書店めぐりが過去のものになってしまい寂しいと仰っていました。
ふーむ確かに。

それから身につまされるお話も。

ひどくつまらないと思う本に出会ったとしても、その責任を全面的に作者に負わすわけにはいかない。
それは、読み手こそが心の舞台における物語の演出家だから。
つまらないと感じるのは、演出家が作者の意図をじゅうぶんに汲み取れなかったせいかもしれない。

なるほど。
この辺りのお話は、シェイクスピア劇を例に出されていましたが、教養がないので正直わけわかめでした。

最後のテーマの「編む」ですが、これは北村先生のやっている編集のお仕事や、聴講者にたいするアドバイス的なパートでした。
ここでは特に記憶に残る質問はなかったなぁ。

さてあっという間に刻限の15:00となり、盛大な拍手に包まれて先生退場されていきました。
しかしなんと即席で即売会&サイン会が開かれるとのこと。
いそいそ退場し、受付に向かいます。
しかしそこにはすでに長蛇の列が。無念、断念しました。(それに金欠なんだよね)

開場近くの荒川の川縁を歩きながら、講演の内容を思い返しつつ帰路についたのでした。

北村薫トークイベント

 近所の図書館に行ったところ、北村薫のトークイベント告知チラシを発見しました。
 しかも無料!
 九月十一日から受付開始で、先着180名までだそうです。
 行きたいなあ。忘れないようにしないと。

朝霧

 円紫シリーズ最後の作品です。
 わたしはこのシリーズが大好きだったので、これで終わりかと思うと読むのがなんとなく勿体無いような気持ちでした。
 
 内容は別にして、妙に頷かされたのが、今まで一冊で一年ずつ進級していた「私」が、この本で就職をして一気に何年も年を重ねることです。
 たしかに、就職をするとイベントが減って時間の経過が早く感じられますよね。そのコントラストがリアルだと感じました。
 
 さて内容ですが、ミステリーとしてはどうなんでしょうかね……。
 ここまで読んできたわたしにはキャラクターに愛着が湧いてきているので、彼女たちが何をやっても面白いのですが、この本からはじめて読んだ人にとっては「なんじゃこりゃ」ではないでしょうか?
 この「なんじゃこりゃ」は今に始まったことではなく、前々作の「秋の花」から微かに臭いはじめ、前作の「六の宮の姫君」ではとんでもないところにすっとんでいったのですが、本作でも引きずってしまっているようです。
 三篇構成になり、原点回帰のような雰囲気をみせてはいるのですが、巻末の解説でも言われている通り、「教養小説」になってしまって、初期の単純な謎解きの面白さから遠ざかってしまっているように感じました。
 
 それでは、一作品目の「空飛ぶ馬」と、二作目の「夜の蝉」だけを読むようにひとに勧めるべきでしょうか?
 でもわたしの忠告はきっと破られるでしょうね。だってそれだけ魅力的な文体とキャラクターたちなんですから。

北村薫の創作表現講義

 「北村薫の創作表現講義‐あなたを読む、わたしを書く」を読みました。
 この本は北村先生が05年と06年に早稲田で持った講義を文章化したものです。
 去年の五月に出た本で、当時新品を買おうかどうか悩んで結局買わなかったのですが、古本屋に並んでいるのを見つけ、即手に入れました。見つけたときには、おもわず「あっ」と叫んでしまいました。
 
 ものすごく面白かったです。この講義を直に聴けた生徒達はラッキーですね。
 内容は講義形式のものや、ゲストのお話、生徒の提出したコラムとそれに対する評価の部分などが合わさっています。単なる小説の書き方にとどまらない、文芸一般にまつわるものになっています。
 大切なメッセージがいっぱい詰まっているように思いました。まとめるのが難しいので、それぞれの章の中で「これは」と線を引いた部分をピックアップしてみたいと思います。
 
 
【第一章】
 「何かを書こうとする時には、書きたい素材と不思議に巡り合うものです。
 ……ひどい夏風邪だとばかり思っていました。その時はね、待合室にいて寒くて仕方がなかった。《どうして、この病院はこんなにクーラーを利かしているんだろう》と思いました。ところが、体が良くなって来ると、同じところに行っても、何ともないんですね。《ああ、そうなのか。クーラーが利き過ぎていると思ったのは、こちらの体調のせいなのか》と分かりました。
 これが、《書く》ということですよね。
 つまり、《どうも体の調子が悪い》と語っても、それは白いところに白い字を書いているようなものなんです」
 
【第二章】
 「心が自然に身構えていると、そこに何かがぶつかって、スパークすることがある。何事も、ただ漫然と見ているだけだと、それだけで終わってしまう」
 
【第三章】
 「小説も芝居も、何かの取り扱い説明書とは違います」
 
【第六章】
 「『英語でしゃべらナイト』という、NHKの教育番組があります。
 釈(由美子)さんはね、英会話を学習するのに、勉強だけのテープを作ると楽しくないので、間に自分の好きな曲を入れていたそうです。英会話と交互になっている。間に御褒美が挟んである。そして《これが効果的だった》と、いっていたそうです。
 わたしは、これを聞いてね、《ああ学習って、これだな》と思った。《どういう風にやったら》というのを、《自分で》考える。それが勉強なんですね」
 
【第八章】
 「実際に、本当に動かされたんなら、その歌を(コラムに)引いてもらいたいよね。
 『スウィングガールズ』って映画、観たんだよね。高校生が《ジャズやるべ》っていって、一所懸命、ジャズの練習をする。
 そういう話だったら、どうしたって最後は、ジャズの演奏になる。それは作品が要求しちゃうんだよね。タイトルが「スウィングガールズ」で、《ジャズやるべ》っていって、ラストが散歩でもして《終》になったら、こりゃ納得できない」
 
【第十三章】
 「よく、『真善美』といいます。その三つを取り入れると、小説としてはちょっと格好悪くなってしまうケースもないではない。でも、全部否定してしまったら、エンターテイメントじゃない。一方、《そういったものはないんだ》とはっきりいってしまうと、それはむしろ純文学の方になるのかなと思います」
 
【第十六章】
 「素材は、個性によってつかむ。また書き方にも、個性がなければいけません」
 
 いま「六の宮の姫君」を読んでいますが、重なる部分がたくさんあります。氏の作品を読む目が変わったかも知れません。
 北村作品に興味があるならお勧めしたい一冊です。

円紫シリーズ

 ブックオフに並んでいるのを目にし、つい逆上して、北村薫の円紫シリーズ「空飛ぶ馬」、「夜の蝉」、「秋の花」、「六の宮の姫君」を購入してしまいました。
 その半分は、高野文子の手がけたカバーにあると言っても構いません。実に所有欲をそそられます。
 返却期日はないので、じっくり読もうと思います。