デジカメの購入を検討中です。一眼ではなく、コンパクトのものです。
現状はCASIOのEXLIM携帯とフィルムカメラをなんとなく使い分けているのですが、ちょっとどちらにも不満を感じるようになってきました。
携帯は当時500万画素で最先端だったのですが、いまではだいたい二倍のスペックのものが売ってます。それから、やはり携帯だけあって遅い…。
フィルムのほうは、分かっていることですが、面倒です。以前はその面倒さも含めて好きだったのですが、この頃はくたびれてきました。
ピントだの露出だの難しいことはうっちゃって、構えたら直ぐに撮れる、撮れた絵はその場で確認できるものが欲しいのです。
常時携帯して、メモがわりになるようなものが最高ですね。
それで、価格.comを参考に最新のコンパクトデジカメを検討していました。
条件は第一に、薄くて、軽くて、持ち運びしやすいこと。第二に、すぐに撮れること。画質は二の次です。
予算はまあ、二万円くらいかなあと考えています。
パナソニックのLUMIX、キャノンIXYなどが候補ですが、いまのところソニーのサイバーショットDSC‐TX5が良いのではないかなと思っています。
店頭で手にとって確認したのですが、かなり薄くて軽いです。他の候補も実物を見てみたのですが、やはり厚みがあるのです。ズボンのポケットにも収まりそう。
それから防水仕様らしく、耐久性もある程度期待できるのではないかと考えています。
もうポチるまえに、もちょっと検討してみます。
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RE:朝比奈切通し
朝比奈切通し
だいぶ更新の間が空いてしまいました。お正月は帰省し、ほとんど家から出ないで怠惰に過ごす日々を送っていました。
色々やることを考えてはいたのですが、年末年始の特番に気を取られて結局は何も出来ませんでした。テレビには勝てなかったよ……。
四日から仕事が始まりました。なかなか正月ボケが治らず辛かった。そんな時に三連休はありがたい。しかし早、最終日の成人の日です。
無為に過ごすのも後ろめたかったので、以前から「いつか行ってみよう」と思っていた「朝比奈切通し」に行ってみました。
文庫から朝比奈までは自転車で移動します。環状四号から切通しに向かって折れる角は、朝比奈インターの出口から五〇〇メートルほど下ったところにあり、小さな看板が出てはいるのですが、ものすごく分かりにくかったです。
切通しの入口には金属加工工場があり、その奥の資材置き場からは犬がキャンキャン吠えるのが聞こえます。かなりの場末な雰囲気です。
切通しに向かう道は全く舗装されていません。「切通し」というだけあって壁面は垂直に切り立ち、地層を晒しています。「落石注意」の看板も見えます。
高速の高架をくぐったあたりから本格的な森と化し、昼だというのに薄暗い。冷えた空気がシンシンと肌に染みました。
ところどころ、崖がえぐり取られているのが目につきました。坂を登り切ると岸壁に刻まれた磨崖仏が迎えてくれました。ここで道程も半分といったところです。
下りに入ると道は急激に悪路になります。湧き水が道の脇で小川となっているのですが、道の真中まで流れこんでぬかるみとなっているのです。これには閉口させられました。防水の、それなりの靴を履いてくることが必須と言えましょう。
しばらく下ると大刀洗川が滝となり、壺のそばに碑が立っているのが見えてきます。これが約二キロの切通しの終点です。だいたい四〇分ほどで踏破できました。思ったより短かったですね。
鎌倉入りして持参した弁当を広げ腹ごしらえをしました。保温弁当箱は重くて持ち運びは不便ですが、本当にあったまります。体を動かした後の飯は最高に美味いです。
充電を済ませて、さらに目指す先は鶴岡八幡宮です。しかしここから先の話は、今日撮った写真の現像をしてからレポートさせてもらうことにしましょう。
Webサーバ引っ越し
今日やっとWebサーバを玄箱上に引っ越しました。
一応、プロキシ経由で外から見れることを確認したのですが、どうでしょう? 見えてるかな?
表示がかなり遅くなって、汗
久しぶりにジョギング
今日は久しぶりに、ジョギングで汗を流しました。
関東学院大学のキャンパス方面に足を伸ばしました。このあたり、閑静で良いところですね。
しばらくすると、横浜横須賀道路の朝比奈インターがみえてきます。
朝比奈、こんなに近かったのか。ここを過ぎればもう鎌倉じゃないですか。
しかし鎌倉へ向かう県道204号は歩道がなかったため、これ以上進むのは断念しました。
木材工場の裏手の山に登ると、夕暮れ時の八景とその先の海が見渡せました。
年末年始の新幹線
今年も年末年始は実家で過ごす予定です。
それで、例年新幹線のチケットを取るために一ヶ月前にみどりの窓口に並ぶのですが、今年は並ばずに取れました。
J‐Westカードでネット予約できたのです。
ネット予約と言っても一ヶ月前の10時から予約開始なのはみどりの窓口と一緒です。
中で駅員さんがやっている操作を自分でやるという感じですね。
予約サイトに10時ちょっと前にログインし、定刻になると同時に、あらかじめ選んでおいた列車名を入力し「予約」を押下。
うぉ、「現在混んでいます」と出ました。やっぱりなー。
しかしもう一度トライすると、予約が通りちょっと拍子抜けするくらいアッサリ、帰省の新幹線が取れちゃいました。
あんまり簡単に取れたので別の日と間違えたのではないかとなんども見直しちゃいましたが、間違いありません。
帰りの便もおなじ調子で取れました。ネット予約楽でいいですね。
ちょっと不安なのが、今回初めてEX‐ICカードで改札を通ることになること。止められたりしないよね……。
ウンダーベルグ
味噌煮込みうどん
玄箱壊れた?
先週のなかばあたりに玄箱が起動しなくなってしまいました。電源は入るのですが、ネットワークが全然繋がらない状態。インターフェイスはLANしかないので往生しました。
起動しないということは、ブートシーケンスのどこかでコケているのです。それを確認するためにはシリアルケーブルでPCと繋ぐしかありません。例の「外科手術」です。今週末はこの問題に振り回されました。土日とも秋葉原に足を運ぶことになりました。
シリアルケーブルは玄人志向から「SCON‐KIT」というのが出ています。
しかしこれは基板にハンダ付けをしなければならず、ハンダなど学生の時以来久しくしていないわたしは「嫌だなあ」と思っていました。
更に言うと、SCON‐KITもなるべくなら買わずに済ませたかった。
そこでネットで色々と調べてみると、ハンダ付けをせずに、安価なUSBケーブルの端を加工するなどして基板につなぐ方法が紹介されていました。
さらに調べると、高い(三千円もする)SCON‐KITの代わりに、携帯電話とPCとの通信ケーブルを流用するやりかたも見付けました。
都合よく以前使っていた携帯のが余っていたので、上記のふたつの方法を合体させて(これは誰もやっていない)安く仕上げてしまおうと画策したのです。
しかしこれがまちがいの始まり……。
土曜、久しぶりに秋葉原に足を運びました。文庫からはおよそ一時間半くらい掛かりました。引っ越してからは初めてですので、多分二年ぶりくらいだと思います。駅がまた改装されたようでキレイになっていました。
駅前ではメイド服を着た女の子たちがメイド喫茶のチラシを配っている姿が目につきます。メイド喫茶自体は前からあったけれど、こんなに呼びこみ多かったっけ……?
目的のブツは「千石電商」という、駅から中央通りを挟んで向こうの奥まったところにある店に売ってることは調べてあります。しかしその前にラジオ会館に寄りました。「アムトランス」という店で真空管を買うためです。
ラジオ会館というのは、知らない人にはなかなか説明し辛いのですが、ガード下にある電子部品の市場のようなところで、「もう何十年も変わってないんだろうな」と思わせるような強烈な昭和の香りを残したスポットです。
真空管はオーディオ用で、スペアの購入です。
首尾よく真空管を手に入れた後、中央通りを渡ります。
そう、久しぶりに秋葉に来てもう一つ変化に気が付きました。食べ物屋が増えているのです。特にトルコ人がやっているケバブ屋があちこちにできました。電子の街にケバブ…。わたしの目にはなんともミスマッチに見えるのですが。
千石電商は三店舗あり、仲良く軒を並べています。中は異様に狭くて身動きするのも大変なくらいです。そして軽々しく質問しようものなら冷たくあしらわれそうな殺伐とした雰囲気が…。気のせいですか?
幸い目的のUSBケーブルはすぐに見つかりました。
これで目的はすべて果たしたのですが、折角なので御徒町まで行くことにしました。色々と細々としたものを買ったのですが、細かいことは割愛。御徒町も久しぶりでしたが、こちらは全然変わってませんでしたね〜。何時もどおりの活気にあふれていました。
帰宅してニッパー片手にゴチャゴチャとやります。
三十分後、わたしの手の中にシリアルケーブルがでっち上げられていました。
さっそく玄箱の筐体下部に接続し、一方をパソコンへと繋ぎます。
ターミナルを立ち上げてメッセージを確認すると、アレ真っ白。通信速度を色々と変えて試してみると、今度は文字化けのような漢字が画面いっぱいに流れてきました。
どうやら信号のアサインが間違っているみたいです。ピンを差し替えて再度接続。このあたり、完全に勘の世界です。
すると「ピーッ!」という警告音とともに、エラーランプが赤く点灯し、電源が落ちてしまいました。
サーッと頭が冷たくなります。
(やらかしたか…)
祈りつつふたたび電源ボタンを押しましたが、ランプが点灯した後、数秒でまた落ちてしまいました。
(やっちまった……)
粗大ゴミがここに誕生しました。
強烈な後悔の念が押し寄せてきました。大人しくSCON‐KITを買っておけば良かった。なぜ実績もないことに手を出したのか。自責の念が止みません。
しかし「夢を諦めきれない男たち」ならぬ、「玄箱を諦めきれない男」と化したわたしは血眼でググりました。
すると、「おぉー!」
おそらくヒューズが飛んだのだとそのページは教えてくれました。シリアルのピンアサインを間違えると基板に過電流が流れ、ヒューズが飛んでしまうそうです。ヒューズの両端を短絡させてみて電源が入ればビンゴだそうです。
はたせるかな、飛んだと思しきヒューズの両端をピンセットでつまんで電源ボタンを押しました。すると「ピロロロッ!」と元気な音をたてて通電したのです。
「やった」
しかしながら、これで問題が解決した訳ではないのです。というか、やっとスタートラインに戻ってこれたというところ。
一縷の望みを抱いて、この日はもう寝ました。心底疲れました。
翌日、ギンギンに覚醒しました。瞳は血走り、青筋を立て、額には梵字が浮かび上がっています。
とにかくSCON‐KITを手に入れなければなりません。それからハンダ付けもイヤなどと言わずやるのです。
SCON‐KITは発売してだいぶ経っているのでほとんど流通していないようです。それでも横浜のヨドバシにあることを確認し、取り置きしてもらいました。
それから飛ばしてしまったヒューズを買うためにふたたび秋葉原行きです。「マイクロヒューズ」という電子回路用のかなりマニアックな品なのです。どの部品店のウェブサイトでも在庫を確認することはできませんでした。なので直接、足で探します。
まずは先日同様、ラジオセンターをあたりました。何店舗か、品番を告げて訊いてみたのですが空振りでした。
次にラジオセンターと通りを挟んで向こうにあるラジオデパートに行きましたが、ナシのつぶてでした。
最後に千石電商とその付近の部品店をあたります。
千石電商にはかなり近しいブツがあったのですが、残念ながらサイズが違った……。
千石をしてこれでは、後はいくら探しても徒労だと感じたのでヒューズは諦めることにしました。ヒューズを諦めた男たち…。回路は短絡されるのです。もし雷が落ちたら、基板は火を噴くでしょうね。
ハンダのフラックスの溶ける臭いが中学の技術の授業を思い起こさせてくれました。本当にそれ以来ハンダ付けなどやって来なかったのです。当時の感覚を思い出そうとするのですが、まるっきりぶきっちょで、手が震えました。
4ピンのコネクタを基板に取り付けるのですが、ピンの間隔が数ミリずつしか空いておらず、ショートしないようにそれぞれの足元にハンダを盛るのは至難の業でした。
何度もダマを作っては、吸いとり線で取り除くという作業を繰り返し、やっと繋ぐことができました。
飛んでしまったヒューズはハンダを当てて取り外し、代わりに適当な銅線で両接点をブリッジさせました。
本当に汚い仕上がりで、そのせいで玄箱に対する愛情が色あせかけたほどです。
さて、苦心してつないだシリアルケーブルをパソコンに繋いでターミナルでメッセージの確認です。ポートレートを「115200」に合わせ、玄箱のスイッチを押します。
ターミナルに起動メッセージが表示されました。これにはかなり感動しました。しかしブートシーケンスが途中で止まります。見るとディスクチェックをしているようです。チェックは遅々としています。無理もありません、2TBのディスクですから。
この時、「あぁ…」とため息が漏れました。
起動しなかったのは故障でも、ブートシーケンスのエラーでもなく、ディスクチェックのためだったのです。何らかの理由(たぶん急に電源を落とした)でディスクチェック機能が働き、それがあまりに時間がかかり過ぎるので起動できないように見えていたのです。
つまり電源を入れてしばらく放っておきさえすれば直っていた――。事実、二時間ほどでチェックは終わり、その後まるで何事もなかったかのようにデビアンは立ち上がったのでした。
土日の苦労に比べてなんともつまらない原因でした。
しかし、こんなことでさえシリアルが無ければ分からなかった訳で、やっぱりシリアルは必須だなと実感させられました。
それから、多少お金が掛かって、手間が掛かるようでも公式に従うことが大事なんだなと猛省です。
楢山節考
(ああ、表紙に思いっきり図書館のシールが…)
深沢七郎の「楢山節考」を読みました。
姥捨て山の話なのですが、その他にも嬰児殺しやら、村八分やら暗い因習濡れの寒村の生活が描写されます。
田舎とはここまでハードなものなのか……。
しかし、内容のハードさに比べて作品の雰囲気じたいはそれほど重く感じませんでした。
ひとつはもうすぐ姥捨て山(楢山)に連れていかれる、おりんが嫌がってはいないからでしょう。むしろ積極的に楢山参りの準備をしています。
山に捨てられて、孤独な死を迎えることが「楢山参り」というオブラートに包まれて、なんだかとても良いことのように語られているのです。
とてもちぐはぐで、目眩を起こさせるような話ではないでしょうか。
それから村民たちの訛り言葉と、そして文章のところどころに挿入される「楢山節」の素朴な味わいが印象を幾分やわらげている、ということもあります。
作品の大きな魅力であり、村民への共感を感じさせます。
なので作品の主題は前近代的な寒村の風習を告発することではないです。
では深沢は何を言いたかったのか? なんでこんな話を書いたのか?
正直よくわかりません。
この本には、「楢山節考」の他に三編の作品が収められているのですが、「白鳥の死」という作品の中で、おりんにはイエスと釈迦が入っていると書いてある部分があります。
ということは、棄老の習わしは、必ずしもイヤイヤではなく、自己犠牲の精神があったのだと言いたかったのかも知れません。
わたしにはこの作品は、棄老が棄てる者と棄てられる者のいずれにとっても幸せであったかも知れない、という可能性を文章のうえで実験した、ように思えます。