ライフスタイル

 ここ一ヶ月くらいアマゾンで取り寄せたライフスタイルのサプリメントを飲んでいるのですが、すごく体の調子が良いです。とくに肌がすべすべと潤っている感じです。
 飲む前までクリームを付けていないと、乾燥して皮膚の表面がポロポロとささくれてしまっていたのですが、それが無くなりました。
 
 飲んでいるのはマルチビタミン&ミネラル
 いままでドラッグストアに普通に売っているサプリを飲んできていて、さほど効果を実感することもなく、おまじない程度に考えてきていたのですが、これははっきりと効果を実感しました。
 
 裏の原材料を見ると、小麦胚芽、ローズヒップ、アルファ、牡蠣殻などが並んでいます。
 やっぱり工業的に抽出された栄養素より、天然由来のほうが人体に吸収されやすいということでしょうね。
 ちょっと高いですけど、これは手放せなくなりそうです。
 
 ちなみに写真の黄色い楕円形の錠剤です。小さいほうはビオフェルミンです。

RE:太宰府

 その二
 おみやげはもちろん、梅ヶ枝餅でした。
 
 帰りに二日市温泉へ立ち寄ります。
 「博多湯」と「御前湯」という二つの共同浴場がありますが、御前湯のほうへ入湯。
 癖のない湯で、なんというか普通の銭湯という感じがしないでもありませんでした。
 料金は二百円。

太宰府

 今年の年末年始は福岡の実家で過ごしました。
 
 帰郷しても会って遊ぶような友達もなく、暇を持て余していたので、福岡の名所「太宰府天満宮」へ行って見ることにしました。
 太宰府へ行くのはこれが初めてです。
 
 天神から西鉄に乗り、二日市駅で太宰府線に乗り換えます。
 駅を出てすぐに参道で、土産物屋や食事処が立ち並び賑わっていました。
 スターバックスが木組みのデザインで、斬新さにびっくり。
 
 石鳥居をくぐって境内へ。
 心字池に掛かる赤い橋を渡りながら、さだまさしの歌にあったなこれと思い出します。
 そして楼門を通って「飛梅」と対面。

RE:赤倉温泉スキー場

 翌日は目が醒めるような快晴。
 部屋の窓から見える景色が素晴らしかったです。
 
 筋肉痛で体がガタガタでした。
 ギブ…、と言いたいところでしたが、体に鞭打ちゲレンデへ。
 しかしリフトから見た雪景色はキレイでした。
 雪質はやや硬くなって、昨日のほうが良かったですが。
 
 この日は午後三時くらいで引き上げ、帰り支度をします。
 短いけれど楽しい思い出と、くたびれきった身体をバスに載せて、年の瀬の東京へふたたび戻るのでした。

赤倉温泉スキー場

 三連休を利用して、新潟県の赤倉温泉スキー場へスノーボードをしに行きました。
 東京から高速バスで車中泊し、翌朝到着。
 外は吹雪いていました。
 
 初めてのことで、勝手わからずしばし右往左往します。
 どうにかウェアとボードが借りられる店を探し出し、旅館へ荷物を下ろしました。
 
 リフト券を受け取って、いざゲレンデへ。
 しかし天候不順で上まで行くリフトが止まっているということ。
 裾野の低いリフトで腕鳴らしです。
 はじめてのスノボ。その高さでも全身雪まみれになるほど転びました。
 
 午後になると上までのリフトが動き出します。
 雪はなお降り続き、視界が悪いです。
 登り切ると尋常ならざる高さと傾斜。
 恐る恐る、雪面に挑みます。
 全身の骨が折れるんじゃないかと思うほど転びました。
 でも、やっぱり長いコースは楽しい!
 日の落ちるまで雪を堪能しました。
 
 帰ってからのお楽しみは温泉。
 大浴場で今日の汗を流します。
 湯からは微かに硫黄臭が。
 効用には、うちみ、挫き、創傷など。
 明日のために効用あらたかなことを願います。

山周

 最近は山本周五郎読んでいます。山周
 読んでいるのは「樅ノ木は残った」
 かなりボリュームがありますが面白くてぐいぐい引きこまれます。近所の図書館はプアな品揃えですが、山本周五郎はいっぱいあります。良かった。
 今更図書館のラベルにモザイクをかけてみましたが、もう遅いですか。

師走の散歩

 今日はみごとな冬晴れ。吸い込まれそうな青空でした。
 図書館に行く道すがら、泥亀周辺を散歩しました。

大岡昇平

 最近は大岡昇平の小説を読んでいます。
 
 「野火」から入って、「武蔵野夫人」と読み進み、ついこないだ「俘虜記」を読み終わったところです。
 野火は面白かったです。逆に武蔵野夫人は野火を読んで期待が大きかった分、イマイチの感触を拭えませんでした。
 俘虜記はノンフィクションだそうなので、ちょっと違った評価をしなくてはならないかも知れません。この捕まるまでの体験を煮詰めて、小説の型に流し込んだのが野火かなぁ、と思います。しかしその事細かな描写と記憶力はすごい。
 
 大岡昇平の文章は生真面目で、内省的です。ねっとり系というか、クチャクチャと出来事を反芻する文です。自身の内面へ内面へと思索を深めていく様は、厳しい観察態度に感心させられますが、正直読んでいて疲れます。
 俘虜記の最初の方で、撃てる場所にいた敵兵を狙撃しなかったことについて、博愛主義、キリスト教的倫理感、エゴイズム、単なる偶然…等々、ああでもないこうでもないと色々と検討するのですが、執拗な議論に読んでる方が途中で投げ出したくなるほどです。
 まあそれでも戦争ならば内省的になるのもわかりますが、武蔵野夫人みたく不倫でそれをやられると「もう勝手にしてくださいよ」とも言いたくなります。
 
 加えてスタンダールやジッドなどという衒学がちょっと鼻につきます。大岡昇平はもちろんインテリですし、その分身であるところの野火の主人公もインテリです。そのインテリ男が、土地の民間人をうっかり撃ち殺してしまったり、狡猾な同輩に手榴弾を騙し取られり、イヤな元上官の懇願を断りきれずに看病する羽目になったりします。
 上のようなシーンを読むたび唾を吐きたいような気分になりました。フランス文学の教養や複雑な思索を操る立派な頭に比べて、現実がこれでは情けな過ぎるではないですか。
 しかしながら戦争というハードな舞台においては、観念は必ず現実に裏切られることを強調したかったのでしょう。
 
 野火の最後で主人公は発狂します。分裂症です。
 頭の方を肉体の事情に合わせて、人肉食を受け入れていれば、きっと狂わなかったでしょう。しかしそれを退けたので狂ってしまいました。でも彼の所有権を観念と現実とが争って、最後に前者が勝ったのです。それで巻末の数行は、わたしには輝いて見えます。