Hulu

う~ん、だいぶ長いこと更新をサボっていました…。
前回が須田先生の逝去に触れたまだ寒い3月の投稿。それから5カ月経て元号も変わり、いまは灼熱の8月です。
仕事(が80%)、家庭ともに忙しく、ブログを更新する余裕がありませんでした。
特に6、7月は目が回るほどの忙しさだった…。
写真もあんまり撮ってないですねー。悲しい。
この頃やっと落ち着いてきたので、ちょっとずつペースを戻していけたらと思います。

とは言え、忙しい忙しいでやってきたので特に書くべきネタも無い。
たまの休日は疲れて外出したくなかったです。
もっぱら家でHuluを観て過ごしてました。
なので、観た映画の中で面白かったもの、印象に残ったものを記しておこうかと思います。

300(スリーハンドレッド)
前々から見たいと思っていて、Huluで最初に見た映画です。
スパルタとペルシアとのテルモピュライの戦いを描いた作品ですが、公開当時も物議を醸した過剰な演出が大変楽しめました。
自分の中では一番面白い作品かも。
ただ続編はイマイチでした。

アポカリプト
舞台は古代マヤで、生贄の儀式を中心にしたストーリーです。
私は古代の中央アメリカの文明に興味があるので楽しかったですが、これも超バイオレンスな演出で観る人を選びそうです。
私の中では裏No.1

ゴッドファーザーⅠ・Ⅱ・Ⅲ
シリーズ全部見ました。どれも長いです。
結構クライムムービーは好きですねー。
ゴッドファーザーシリーズは独特な重厚感を感じます。
ヴィトー・コルレオーネの存在感がスゴイ…。

エスコバル 楽園の掟
堅気のカナダ人から麻薬王エスコバルの横顔を捉えた作品。
怖い人には近づかないのが一番ですね…。

プラトーン
戦争物は、フルメタルジャケットとかプライベートライアンとか有名どころを観ましたが、これが一番気に入りました。

ビューティフルマインド
色々と考えさせられた作品。
統合失調症って怖いね…。

イミテーション・ゲーム
第二次世界大戦中に、「エニグマ」というナチスの暗号を解読するために尽力した人たちを描いた作品。
アラン・チューリング(超偉人)のサイコパスぶりを演じるベネディクト・カンバーバッチが実に良いと思います。

プロメテウス
エイリアンやプレデターシリーズは大好物で良く観ていたのですが、その中でNo.1
だた、シガニー・ウィーバーの出ていないエイリアンは気の抜けたコーラのようで、決して映画として素晴らしいという訳ではないです。
公開当時の「人類の起源」という誇大広告なコピーが頭に引っかかっており、肩透かしっぷりがスゴイな、と。

アバター
ストーリー、映像ともに素晴らしい。現代の古典では?
でも何よりシガニーが記憶に残りますね。ナヴィ化してもなお「シガニー」なのはスゴイ。本物のスターの持つ個性ですね。

インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア
レスタトを演じるトム・クルーズはめちゃ美形ですね…。
なんか最後元気になっちゃって、良く分からないハッピーエンド感が好き。

レインメーカー
プロレスファンの私には別の意味を持つ「レインメーカー」
主演はジョン・シナ――、じゃなかった。マット・デイモン
せっかくだからと観てみましたが素晴らしい映画でした。
監督コッポラなんですね。

ウルフ・オブ・ウォールストリート
マーティン・スコセッシ監督作品。
「沈黙」の監督なので、渋いのかなと思っていたらそんなことはなく、ひたすら常軌を逸する馬鹿騒ぎを描きウォール街のヤバさを教えてくれます。
Huluでは同監督の「ディパーテッド」も観れますが、こちらも方向性が違って見えるので私にとっては掴みどころのない監督です。

訃報 須田一政

このブログでもたびたび記事にさせてもらった、写真家の須田一政さんが今日お亡くなりになったそうです。
老衰とのことですが、まだ78歳で早いですね…。
たいへん残念です。

佐久間式アンプの思い出

真空管アンプの世界で有名な、佐久間駿さんが去年の12月13日にお亡くなりになっていたそうですね。
何気なくググってみて知りました。

おととしあたり、真空管ラジオを作ったりして、真空管アンプ作りに関心を寄せていた時期がありました。
Youtubeなんかで自作動画をみて研究をしたりして。

そんな中で出会ったのが、2010年に放送されたNHKの熱中人という番組で取り上げられた佐久間駿さんの動画でした。
千葉の館山で「コンコルド」というレストランを営みながら、自作の真空管アンプを作って聴かせる趣味人。
真空管アンプ会では伝説の人物とのこと。

その仙人のようなルックスにびっくりするとともに、回路図もなんもなしにアンプをバチバチと作っていく姿にも衝撃を受けました。
しかしそれでいて音は絶品だという…。

真空管アンプ作りの元になる、子供時代に鉱石ラジオを作ったエピソードを語りながら、「1010ミリバールっていう島があると思ってた」語る佐久間さんは人間的な魅力にも満ち溢れた方だったのでしょうね~。
私にとっては真空管アンプのロマンを濃く伝えて下さったお方です。

ハワイ旅行

2019年あけましておめでとうございます。
え~、生意気なことに年末年始はハワイ(ワイキキ)で過ごしましてー。
その時の写真を密かにアップしていこうかと思います。

30日夜に成田から出発でした。
意外と早く6時間弱で到着。
機内で観た映画は「ヴェノム」と「レディ・プレーヤー・ワン」

日付変更線を跨ぐので、ホノルル空港に着くと現地時間の朝です。
旅行代理店のバスでハワイ最大のショッピングセンター、アラモアナセンターに運ばれます。
もうクタビレ果てていたのでサッサとホテルへ行きたかったのですが、チェックインが3時なのでここでちょっと時間を潰すことに。
この時間に空いていたのがスーパーマーケットだけだったので仕方なく入ったのですが、アメリカンなディスプレイに感激!


お腹も減っていたので、ここで購入したご飯を白木屋という日本食フードコートに持ち込んで食べました。

美味しかったのですが、やはりちょっと大味感があり…。
あとやっぱり量が多く食べきれませんでした…。

白木屋はオースティンパワーズ・ゴールドメンバーを彷彿とさせる、日本人には違和感を覚える和風の内装。
お立ち台で日本語の歌謡曲を歌う芸人さんに耳を傾けるのは現地のアメリカ人たち。

チェックインまでまだ時間が余ったので、ちょっとダウンタウンのほうを観光しました。
市内をトロリーバスが循環していて、旅行代理店からもらったパスを見せればタダで乗せてもらえます。
有名なカメハメハ大王像をパシャリ。

テレビ東京でやっている「モヤモヤさまぁ~ず」でも取り上げられた、ハワイ出雲大社にも足を延ばします。
結構ここでトロリーバスを降りる人は多かったですね。

ハワイなのに思いっきり日本な光景です。
御朱印帳もやっているみたいですよ。

やっとチェックインの時間が来たのでホテルに急行します。
ワイキキからはちっと外れたところにある、ヨットハーバーに面したプリンスワイキキです。

部屋はこんな感じです。
31階で窓から眼下にラグーンが見渡せていい感じでした。
ただこの日は時差ボケでノックアウトされてしまい、すぐ横になります。
夜中にラウンジに食事を摂りに行った際に撮ったプールが下です。

翌日の大みそかも良い天気で、ヨットハーバーに青空が映えていました。

この日はオプショナルツアーでドルフィン・ウォッチをすることになっており、ホテルからツアーバスに乗って西海岸のワイアナエに行きます。
途中は観光色のない片田舎を走るのですが、ロードサイドにマクドナルド、セブンイレブン、KFCなどがあり日本と変わらないなと変に感心します。
ただジャック・イン・ザ・ボックスというハンバーガーチェーン(ハワイでは至る所にあった)は日本では見たことはないですね~。

ワイアナエのヨットハーバーからクルーザーに乗ります。
会場を猛スピードでぶっ飛ばすので振動で酔いそうになります。
やっとイルカの群れを発見したのか停船。

見えるでしょうか…。
こんな感じで人垣の向こうにイルカの姿がかすかに見えました。

その後、シュノーケルを着けて海に入ります。
運が良ければイルカと一緒に泳げるかも?みたいなツアーなのですが、イルカは全然近くに来ませんでした。
しかし魚は結構泳いでいて、それなりに満足でした。

午後にホテルに戻ってきて、ちっとホテルのプールに入ってみたのですが風が強くて寒くてダメでした。

ラウンジで暖かいものを飲んで体を温めながら過ごしていると、徐々に日も暮れていきます。
2018年最後の日没です。

夕食はワイキキに出て、ワイキキ横丁という日本食の飲食街でラーメンを食べました。
ハワイでラーメンって…。という感じですが、暖かいものが食べたかった。
お味は決してマズくはないのですが、日本で食べるラーメンに比べるとちょっと薄味かなと感じました。
帰りのバスの車内から丸亀製麺が見えたのですが、ものすごく行列してるのが目に入りました。しかも主にアメリカ人が並んでいます。
大みそかのディナーにそれで良いのー?!と心の中で叫んだ瞬間でした。

ホテルの部屋に戻ると年が変わる頃に外でバンバン花火が上がり始めました。
上の方の部屋だったのでキレイに見れて得した気分です。

元旦の朝は遅く目覚めました。
ほとんど正午近くになってホテルのロビーに降り、コーヒーショップで軽く食べてワイキキに移動します。

免税店とかを回った後、デューク・カハナモク像のあたりのビーチを散策します。

これぞハワイという感じですね~。
この後、踵を返してアラモアナセンターの方に行きます。

ハワイ土産を求めに向かった先は「ドン・キホーテ」

アラモアナセンターから徒歩10分程度で行けます。
ハワイでも品揃えの豊富さと驚安ぶりは健在で、日本人観光客にはバラマキ用のお土産をGETするスポットとして定評がある様です。

店内の様子はこんな感じです。
小規模ながらブックオフも入っていて日本の日常を彷彿とさせる場所になっています。

元旦の夜はオプショナルツアーでディナークルーズを入れていて、ホノルル・ハーバーから大型船で夕日を眺めるクルーズに出ます。

ディナーもなかなか良かったです。大きなロブスターには思わずほおが緩みました。

新年最初の落日。
どうもこの時甲板からクジラも見えたそうですね。私にはよく見えませんでしたが。

ホールではディナーショーが繰り広げられます。
やはりアメリカンなノリと客いじりにはついて行き難いものがありますが、途中ビンゴで記念品が当たったこともあり大体気分良く過ごしました。

1月2日は自由に過ごせる最後の日なので、朝から大張り切り。
トロリーバスを駆ってダイアモンドヘッドを目指します。

ワイキキから30分くらいで、ダイアモンドヘッドのクレーター内の駅に到着。

入山料1ドルを払って登山道に入ります。
麓にはTシャツとパイナップルを売っている売店があるくらいで、高尾山みたいな商売っ気はありません。

登山道は狭く、登りと下りの客がすれ違うので不便です。

道は想像していたより厳しく、頂上付近では階段になります。
最後はトンネル内のらせん階段を上がって頂上の展望台に出ます。
だいたい40分くらい掛かりました。

展望台から見たクレーター内の眺望。

ワイキキ方面の眺め。絶景かな。

午後はワイキキビーチで泳ぎ、最後の海水浴を満喫しました。

ホテルに戻って見た、最後の落日。
明日帰国かと思うとあまりに早く、儚く、ものがなしい想いがしました。
ただ美しい風景はずっと忘れないでしょうね。

ちなみに帰りの飛行機では「ザ・プレデター」、「ミッションインポッシブル・フォールアウト」、「MEG ザ・モンスター」とハリウッド映画三昧で過ごしました。

ハードディスクこわれる

ちょっと前の話ですが、家で使っているサーバが動かなくなり、「IOエラー」というメッセージが…。
嫌な予感がし、調べてみたところハードディスクが壊れていました。

「不良セクタ」という、データの読み取りができなくなった領域が発生していました。
まだ読み取れないのは一部でしたが、一度不良セクタが発生するとあっという間にハードディスクが読み取り不能に陥る可能性があるため慌てましたよ。
とりあえずまだ読み取れる部分のデータをUSBメモリに避難しました。

それから新しいハードディスクを注文しました。
ヨドバシカメラで注文して、翌日には届きました。
早い!

左が壊れた方のハードディスク、ウェスタン・デジタルの青 3TB
右が新たに届いたシーゲートのBarraCuda 4TBです。

今までずっとウェスタン・デジタルを使ってきて、故障が起きたことはなかったのでちょっとショックでした。
特に、去年購入したばかりのものだったので意外というか裏切られたーという感じです。
なので、今回はシーゲートに変えてみました。まぁ気休めですが…。
幸いバックアップがあったので元通りに復旧できたのですが、冷や汗ものでしたよ。

ハードディスクの寿命には運的な要素も多々あるようで、我が家でも10年以上使っていて問題なく動いているものもあります。
しかもウェスタン・デジタルの緑という一番エコノミーなもので。
はたまた今回のように若死にすることもあるという…。

それで、いつ買ったのか調べてみると2017年の2月で、まだ一年半余りというところでした。
これはAmazonで買ったので購入履歴からすぐ調べられます。
で、保障期間は2年半なのでどうやらまだ保証期間内のよう。
確かにこんなに早く壊れられてはぼったくりもいいとこで堪りません。

返品の手続きはウェスタン・デジタルのWebサイトに行って行います。
壊れたハードディスクの製造番号を入力すれば保障期間かどうか判定してくれるというもので、保証期間内ならば返品を受け付けてもらえます。
返品すると交換品が送られてくる仕組みとなります。
案の定、保証期間内だったので早速手続きします。
ただこのサイト思いっきり海外仕様で、住所とかはアルファベットで日本とは逆に書くなど面倒くさいところが多かったです。

返品が受け付けられるとRMAという番号が払い出されて、これを小包に貼付して送れば返品が完了します。
梱包は帯電防止パックに入れろだの、プチプチに包んで段ボールに入れろだの結構やかましく指定されます。
本来なら「返品されるようなものを作ってすみません。煮るなり焼くなりご随意にしてくださいm(_ _;)m」だと思うんですけどー。

日曜に発送して次の木曜にはFedExから宅配の連絡が入りました。
おー、結構早い。送り元はベトナムでした。
その日は受け取れないので週末に再配達をお願いします。
帰宅後ポストを覗くと不在票には送り主にウェスタン・デジタルとかは一切なく謎のベトナム人の名前だけが…。
FedExは再配達は日本の業者に依頼するそうで、週末に佐川で届きました。

FedExの梱包はかなり頑丈で、開封するのに苦労しました…。

中身はコレ。
ラベルは黒に変わってますが、返品したものと同等のものですね。
交換品は新品ではなく、リフレッシュ品だそうです。
なので、またサーバに使うのはちょっと憚られる感じです。
テレビ録画用の外付けハードディスクにでも使おうかなと思います。

通勤について

だいぶご無沙汰していました…。
夏~秋口にかけては仕事がかなり多忙で、なかなか自由な時間を持てませんでした。
10月末で別業務に異動することとなり、その引継ぎ作業やらで忙殺されていました。今のところは異動後のバタバタも一段落ついて、仕事の上では割と余裕が持てています。

しかし、異動したことで勤務地も変わり通勤時間が大幅に長くなってしまいました。
これまでは川崎だったので、片道30分くらいだったのですが、およそ3倍の一時間半ほども掛かります。
東急東横線で渋谷に出て、京王井の頭線に乗り換えて吉祥寺まで行き、そこから更にバスに乗ります。

朝の東横線はヤバい…。
初日にいきなりもみくちゃにされ、強烈な洗礼を浴びさせられました。
京浜東北線だと運良ければすわれることもありましたが、東横線だとまぁ千に三つといったところでしょうか。
各停なら菊名で始発待ちすれば座れないこともないと思いますが、東横線のほぼ端から端まで乗るので、ただでさえ通勤時間が長いのにそんなに時間をかけたくないなーと思います。

仕事は余裕が出てきたのにこの路線のせいでストレスが異常ですよ…。
ニンゲン…、ヤバい。
みんな善男善女みたいな顔しながらグイグイ押してきます。
例えば、座れないまでもどこかの吊革にやっとしがみついて、目の前の網棚に鞄を置くじゃないですか。そうしたら、その吊革の真下は紛れもなく「私の場所」の筈――。それが通じない。
ヒヨシあたりから金型に流し込まれるようにゾロゾロ乗って来た乗客が、人の法よりも液体の法則に従ってグイグイ押してきます。
無論その前から車内は満員で、隣の乗客との隙間なんて無いんですよ。
それを知ってか知らずか「自分さえ乗れれば後は知らねー」とばかりにエゴ丸出しで押してきます。
しかし、吊革はこの1ダースもの成人病を抱えた東京という中年の硬化した動脈を流れるコルステロールまみれの血液を泳ぎ切るための「浮き輪」なので、どうしても手放す訳にはいきません。
なので生き汚く吊り輪にしがみつきながらバナナのように身体を曲げて、何千人ものエゴイストを満載した箱に揺られて渋谷を目指すことになります。
渋谷駅に吐き出された後はもうボロボロですよ…。

いったい誰もこんな状況をおかしいと思わないのでしょうか?
自由が丘だ、田園調布だ、ナカメだのとハイソを気取っておいて、その実は毎朝押し合いへし合い、息も吐かせぬほどの混雑の中で、他人も「自分自身」もの尊厳を踏みにじっていることに気が付いていないのでしょうか?!?
今世紀後半では、旧ソ連のラーゲリよろしく日本民族の心に後ろ暗い記憶として刻まれていること請け合いですが、「今」それを公然と指摘できる人はいないのですか?
それとも私が日本のソルジェニーツィンにならなければならのいのでしょうか――。

とまぁ、変なことを考えるくらい辛いものがあります。
こんな環境でもたくましくスマホをいじってる人がいますがー、私には無理ですね。だいたい音楽を聴くか、録音していたラジオを聞いてやり過ごしています。
二週間くらい通勤して分かったのは、とにかく車両の奥に行くことですねー。
入口近くだと乗降客の流れに洗濯機の中の靴下みたいにモミクチャにされます。
車両の中央、もしくは連結部のそばにまで行ければ人の流れが少ないので無難にやり過ごせます。液体の法則ですね。

しかしそんな思いをして辿り着いた渋谷も単に中継監獄(注:ソルジェ用語)に過ぎない…。
東急渋谷駅は地下深くにある(なぜ?)
そこからわざわざマークシティの上にある京王線の改札まで移動しなければなりません。その道順が迷路過ぎて何度間違えたことか…。もう慣れたので大丈夫ですが。
慣れないのは遠さ!
地下5階(?!)の東急の改札から、地上2階の京王まで毎日7階分の移動ですよ?!
それに加えて人の多さ。
とちゅう半蔵門線からJRに乗り換える人の流れが京王線を目指す流れと直角にぶつかるため、その「大河」を毎回渡航しなければならず辟易させられます。
例によって液体と化した連中は「絶対通らせないぜぇー」と言わんばかりに距離の詰まった行列を形成し、人間らしさを失った横目でこちらを白眼視してきます。
その進化しすぎたゴジラみたいに八心室もある心臓を流れる憎悪を運ぶ赤血球を押し分けて向こうに渡るわけですが、ここでもコツが…。
それは白刃を晒して凄む――。ではなく、いったん列に並び流れに同化しつつ徐々にスライドし反対側に抜けることです。ただ、急いでいる時は本当にイライラしますね。

マークシティの2階まで上がると改札まではぶわ~っと道いっぱいに広がった人の流れと逆行して進むことになります(これもまたシンドイ)
しかし、上りと下りでこうも掌を返すみたいにと感心するのですが、吉祥寺行の井の頭線は激空きです。
改札に近い5号車は駆け込み客で混むことがありますが、先頭車両に行くほど空いていて、座れないことはまずありません。私はだいたい端の席を確保して居眠りをキメ込んでいます。超絶圧縮の東横線の後だけに癒されますねー。
不満と言えば私が利用する8時台は何故か各停しかないため無駄に時間がかかる点ですが、まぁ目をつぶろうという気になるいっときのオアシスです。

吉祥寺からはバスとなります。
5分間隔くらいで出ているので、いつもそれほど待たずに乗れるのですが、ここでもやっぱり超満員です。
これが2、3駅くらいだったら歩くのですが、わりと結構あるんですよね。
ただ歩いて出勤してくる人もいなくもないです。
バスは乗車時の先払いなので近距離だともったいない気がしなくもないです。
慣れてきたら運動不足解消のため歩いても良いかも知れませんね。

パソコン20年史

この間のオウム報道に触発された――、訳でもないですが、ふと昔を振り返って自分のパソコン史をまとめておきたくなりました。
指折り数えたところ、このまえ記事にしたLenovo ideapad520で6代目ということになります。(サブで使っていたノートパソコンや、サーバなどは除いて)

以前はいじりやすいデスクトップを所有して、改造に血道を上げていましたが、この頃はそのままでも充分速いことと、年のせいかイロイロとめんどくさくなり、お仕着せで良いやという心境にまで至ってますね。

ただ、この機会に昔のパソコンのことを調べてみると、あの頃のロマンが蘇るというか、青春の埋火のようなものを感じずにはいられませんでした。
多分私のようなかつてのパソコン大好き少年(今はパソコン愛好中年?)にはそれぞれのパソコン史があり、思い入れのあるモデルがあるのでしょう。
そんな私のパソコン20年史です。

~1代目~
東芝 DynaBook GT-R590
現役期間:1995~2000年

ノートパソコンです。
父親が仕事で家に持ってきたもので遊ばせて貰っていました。
二台あって、それぞれWin3.1とWin95が入ってました。

CPUは初代Pentium90MHz、メモリ8MB、HDDは810MBという、今にしてみると想像を絶する低スペックですね。
大したアプリは入ってなかったのですが、「ホバー」とか「マインスイーパー」とかOSに付属しているゲームでバカみたいに遊んでいました。

同級生にパソコン好きがいて、彼はNECのPC98を持っていました。
それは言うまでもなくHなゲームをするためだったのですが、当然インストールしてくれとお願いすることとなります。
結構仲良かったので快く引き受けてくれたのですが、インストールできず…。
あの手この手と試してみても、結局上手くいかず断念しました。
原因はNECはPC-98 DOS、東芝はDOS/VとOSが異なっていたせいですが、当時は良く分からず混乱してましたね~。

結局このノーパソは「ワード」で学校のレポートを作ったり、「ペイント」でお絵かきしたりというまっとうな用途にしか使われませんでした。
それでも初めて触れたパソコン、初めてのWindows体験で、触れているだけですごく楽しかったことを覚えています。

その後、大学進学に伴い上京したのですが、このパソコンは持っていきませんでした。
大学のコンピュータ室にあったのはマック(iMacの前の世代)で、インターネットに初めて触れたのはこれですね~。
ブラウザはネットスケープでした。
掲示板に初めて投稿した時の感動をいまでも覚えています。

しかしレポートとかで個人のパソコンが必要になってきたので、母親に頼んでこのダイナブックを送ってもらいました。
当時としてもやはり性能がイマイチだったので、メモリを増設(8MB→40MB)するなどしましたが、力不足は否めず、21世紀に入ると同時に後進に道を譲ることに…。
ちなみに32MBの増設メモリに一万二千円使いました。今思うとなんと高価なメモリだったことか…。

~2代目~
NEC PC-9821 VALUESTAR V16
現役期間:2001~2002年

これはタワー型デスクトップですね。
憧れ(?)のPC98です。
友人が使わなくなったのを1万円で譲ってもらいました。

スペックはCPU Pentium166MHz、メモリ32MB、HDD3GB(うろ覚え)と微増。
残念ながらこれでは全く使えないので、結構な投資をして改造をすることに――。
ただPC98の時代は終わりつつあり、結構な出費を強いられることになりました。

まず、BuffaloのHK6-MD400というCPUアクセラレータを使用して動作周波数を400MHzにアップしました。
2万円くらいしました。
さらにメモリを増設して96MBに。これは1万円くらいの投資だったはず。

それからグラフィックボードも増設したのですが、PC98用のグラボというのはあまりなく苦労しました。
IOデータのGA-S2K32/PCIというのを探し出して買った思い出があります。これも2万円くらいしたかな~。
最終的に5万円くらい追加投資したことになりますね…。
新しいパソコンを買ったほうが安かったのでは…?という気がしなくもありません。
ただ当時はパソコンを少しでも速くするためにアレコレと試行錯誤するのがものすごく楽しかった。
将来ITの道にすすむ、その萌芽がこの時期に生まれた気がします。

また、家でダイアルアップでインターネットに初めて接続したのもこのパソコンです。
プロバイダはライブドアでした。
ゼロと並んでプロバイダー料無料というのがウリだったんですよね。
あの接続するときの「ピー、ピロピロ…」という音が懐かしいです。
しかし、ある月に通信料を一万円以上使ってしまい父親から怒られてからヤフー!BBに乗り換えました。

かなり愛着のあるパソコンでしたが、ある時ブラウザクラッシャー(流行っていた)を踏んでしまい、それ以降起動しなくなってしまったので乗り換えを余儀なくされたのでした。

~3代目~
DELL DimensionV400c
現役期間:2002~2005年

これもタワー型デスクトップです。
先代が急逝してしまったため、急きょハードオフで求めたデルのパソコンです。
スペックはCeleron400MHz、メモリ64MB、HDD8.4GBでした。

値段は3万くらいだったと思います。スペックをなるべく落としたくないのと、金額とのバランスで相当悩んだことを覚えています。
前のパソコンの増設メモリとグラボはそのまま使えました。
CPUは後に秋葉原でPentium3 650MHzを購入して換装しました。

これは後にメイン機を退いた後もLinuxをインストールしてサーバとして活躍してくれました。
(電話帳みたいなサーバ構築本に付属していたFedora Core6でした(インストールCDが5枚もあった))
色々と勉強させてくれた、愛着あるパソコンでしたね。

~4代目~
Sofmap 牛丼パソコン並盛
現役期間:2005~2009年

これは初のメーカー以外のパソコンですね~。
ソフマップが出していたショップブランドPCです。
就職してお金ができたため、パソコンを買い替えようと思い立ちアキバに繰り出しGETしました。

「牛丼パソコン」というのがいかにもデフレ臭です。他にも「バーガーパソコン」などのラインナップがありました。

スペックは、CPU CeleronD2.53GHz、メモリ256MB、HDD128GB、OS無し。値段は4万円ほどでした。
スリムタワー型で黒い筐体でしたね。
スタイリッシュでしたが、冷却ファン音がかなりうるさかったです。

これは最もスピードアップを感じた乗り換えでした。
これ以降、実用的にはもう困ることはなくなりました。

~5代目~
グッドボックス(BTO)
現役期間:2009~2018年

つい最近までメインPCとして使っていました。実に9年にも渡って現役を張ってくれました。

名古屋に引っ越したころ、“OSx86“というパソコンにmacOSを入れるプロジェクトを試してみたくなったためBTO屋に依頼して作ってもらったものです。
スペックは、CPU C2D(E7500)2.93GHz、メモリ4GB、HDD500GB
お値段は5万5千円でした。

このマシンではMAC体験が出来て良かったですね。
ただ、新しいOSにアップデートできなかったので次第に使いづらさを感じ始め、2015年にWin8.1に乗り換えました。
さらに翌年にはWin10にアップデートしています。
ただ実用的には困っていませんし、この9年間でハードに加えた変更は4Kテレビに映すためにグラボを変えたことくらいです。

こうして20年間を振り返ると、もうパソコンの性能は充分に成熟して、普通に使う分にはユーザを煩わすことは無くなったのだなと感じます。
ただ、手のかかる子ほど可愛いではありませんが、パソコンを少しでも速くするために試行錯誤していた時代が懐かしくも思えます。

6代目はこの記事に紹介していますが、もしかして10年以上使うことになるのではないかという予感がしています。

オウム真理教の思い出

遂にこの日が来たか?!という感じです。
麻原彰晃と教団幹部らの死刑が執行されました。

サリン事件の当時、私は中学生でしたが、当時の報道たるや凄かったですね~。
毒ガスとか兵器を秘密裏に作ろうとしていた「サティアン」とか、ヘッドギアをして座禅をしながらピョンピョン跳ねる謎の修行とか、尊師の入った風呂の残り湯を高値で売って有難がって飲むとか…。
あまりの異質のカルチャーに、多感な時期の我々は眉をひそめた――、などということは決してなく、面白がってネタにしていました。
友人同士を「ホーリーネーム」で呼び合う。「ポア」という言葉が飛び交う。体育の時間に跳び箱を座禅で飛ぼうと試みる。プールは「水中クンバカ」大会と化すなど、中学生時代の思い出はオウムと切っても切り離せません。

当時は九州の片田舎で暮らしていたので、オウム事件も対岸の火事。遠く離れたところで起こった現実感に乏しい出来事でした。
そのころ林間学校か何かの余興で、オウムの幹部村井の刺殺事件を寸劇にして怒られた中学生がいましたが、シンパシーを覚えたように思います。
犯罪のリアルな恐怖はなくブームとして消費していて、渋谷にあるオウムショップに行きたいな~とか、秋葉原の「マハーポーシャ」でパソコン買いたいな…とか憧れを抱いていました。

そういう人間はやはり一定数いて、「オウマー」と称してネット黎明期にアングラサイトを立ち上げて楽しくやっていたようです。
今でも興味があるのか、別の何かを見つけたのか分かりませんが、いかにも90年代末期らしい「不謹慎上等」な空気にマッチしたようです。

これほどに当時の好事家に大きなトラウマを与えたオウムですが、猛スピードで走る時間の車窓からはその姿は次第に次第に小さくなり、時たま報道される逃亡犯逮捕のニュースを耳にしても「へー、まだ逃げてたんだ」くらいの感想しか抱かなくなって行きました。
通勤で千代田線を使うようになりましたが、本当に何の感慨もなく、日比谷で降りても「ここがあの大事件の現場であったか…」としみじみ思う、ということは一度もありませんでした。

麻原にしても死刑が確定してから長い月日がたち、死刑にすると信者に「殉死」みたいに捉えられると不味いから、獄死するのを待ってるのでは…?とちょっとうがったようなことすらぼんやり考えていたのですが、このタイミングで執行とは――。

ただ思うのは、あまりに多くの時間が経ったということです。
世の中にも、自分自身にも多くの変化が起こって、ほんのわずかな色あせた記憶となっていたものが、ついにピリオドを打って、永久に過ぎ去っていくんだなという予感です。

映画ビューティフルマインドを観て

2001年公開なので、かなり古い映画ですが、Huluでやってたのでなんとなく観てしまいました。

ラッセル・クロウ演じる変人の数学者が国家の陰謀に巻き込まれて~、みたいな内容なのですが途中から何か変だな…という感じになる。
ネタバレになりますが、実は統合失調症を患っていて、陰謀云々は妄想だったことが明らかになります。
これは実話で、ノーベル賞を獲ったジョン・ナッシュの半生が下敷きとなっています。

つまり、天才と○○は紙一重…。

雑誌からソ連のスパイの暗号を探し出そうと、部屋中を理解不能なメモでいっぱいにするシーンは、観客に思わず「アカン…、終わっとる…」と唾を飲ますものでしょう。
しかしその情熱や恐ろしいもので、これほどの熱量がまともな研究に向けられていたら人類の進歩にどれだけ貢献したことだろうと思われます。

ちょっと興味が沸いてウィキペディアで調べてみると、統合失調症の原因は未だによく分かっておらず、百家争鳴、仮説の域を出ない様々な説が唱えられている状態のようです。
そこで気になったのは遺伝説。
誤解があったら申し訳ないですが、以下のような内容(だと思います)
健常者の脳の容積は思春期以降に減少する。でもこれは脳を成熟させるために必要なこと。
その証拠に知能の高い人の脳は大きく減っていることが多いらしい。
で、統合失調症の患者の脳も委縮しているケースが多い。
つまり、脳の容積を減らす遺伝子が誤って動作して病気の原因になる。

この説が面白い、というか個人的に腑に落ちた点は、知能が高いほど実は脳が小さいという点。
知能が高い、というのは合理的な思考ができるということですよね。
それができるのはズバリ! 合理的な思考をする以外の脳が無くなっているから――(えーッ??!)

確かに10代の頃は多感な時期と言って、色んなことに興味があったり、詰まらないことでクヨクヨ悩んでみたりと、脳の合理的な部分も、非合理な部分も同時に活動していた感がありました。
大人になるにつれて非合理的な部分は無くなっていき、人生の様々な問題にあまり悩まずに回答が見つけられるようになる。
と同時に、新しいことへの興味が無くなり、音楽も聴かなくなり、パターン化された生活にも抵抗がなくなって行く――、と書くとサビシイですね。

多くの大人が辿るように脳の非合理的な部分が縮小していけば、良いんでしょうが、それがあべこべになると非合理的な思考が強化されて、統合失調症のような症状を生み出すのかなぁと勝手に想像しています。

前に、統合失調症を患った人の手記「ボクには世界がこう見えていた(小林和彦著)」を読んでとても共感を感じたことがありました。
何だか、自分にも統失の気があるんじゃないかとも思ったのですが、そう考えた人は意外と多いんじゃないかな?

ビューティフルマインドの中のジョン・ナッシュが恋人(後の奥さん)とデートしているシーンで、星空から「傘」の星座を見つけ出す(作り出す?)というとてもロマンチックな場面があるのですが、象徴的、というか後の展開を知っているとむしろ薄寒くなるシーンです。
それは無意味な星の分布から「傘」という意味ある形を取り出している訳で、のちの妄想のはしりのようにも受け取れます。

そこでふと思い出したのは、むかし父親の本棚のカメラ誌に載っていた川面の写真を見て、その水の反射が文字のように見えたこと。
もちろんそれは不規則な光の線の集まりでしかなかったのですが、その文字が読めてしまったら、わたしはアッチの世界に旅立ってしまってたかも知れませんねー。

そんなことを思いめぐらしながら、ふとトイレの天井を眺めていたら虫食いのような吸音ボードの穴が目に入りました。
そこには次の戦争が起こる日、震災が起きる場所、恐慌を引き起こす証券のコードが埋め込まれている可能性があります。
ですが、しばらく見つめていましたが、やはり虫食い穴にしか見えませんでした。

その虫食い穴のような模様は、ググったところ「トラバーチン模様」と言うそうでした。

最近のフィルム

この頃フィルム写真を撮る頻度が下がってますね~。
この週末で引っ越してから初めてフィルムの現像をしましたよ。

ぼつぼつアップしていきたいと思います。

これは引っ越す直前くらいに撮ったものです。
水元公園を撮り納め(?)に行った道すがらにカメラに収めたものです。

これは正月に旅行した長野の戸倉上山田温泉です。

堤防から望む千曲川。

翌日にちょっとだけ立ち寄った、善光寺です。
この日は雪がドカ降りして大変でした。

これは急に春。
お花見に行った目黒川沿いの公園で遊ぶ子供たち。

同じ日の夕刻に足を延ばした品川シーズンテラス。
都心は子供の遊び場?

こちらは近所の子供の遊び場。反町公園。

もう一枚。

GWに出かけた金沢の兼六園の内橋亭です。

これは金沢21世紀美術館のそばにある石浦神社です。
何かのお祭りをやっていたのか境内に屋台が並び賑わっていました。

これはごく最近。
みなとみらいから掃部山公園のあたりまで散歩した際に撮ったものです。

戸部付近のアパート。
やっぱり京急沿線は生活感が漂ってますね。

卸値プラザ「栄光」でお酒を買った後、近くの神奈川公園を通りかかった際に撮ったもの。
休日の公園に佇むサラリーマン。哀愁を覚えます。

横浜の埠頭へつながる道。
この一本の道を隔てて、マンションと掘っ立て小屋のような商店のコントラストが鮮やかです。