遂にこの日が来たか?!という感じです。
麻原彰晃と教団幹部らの死刑が執行されました。
サリン事件の当時、私は中学生でしたが、当時の報道たるや凄かったですね~。
毒ガスとか兵器を秘密裏に作ろうとしていた「サティアン」とか、ヘッドギアをして座禅をしながらピョンピョン跳ねる謎の修行とか、尊師の入った風呂の残り湯を高値で売って有難がって飲むとか…。
あまりの異質のカルチャーに、多感な時期の我々は眉をひそめた――、などということは決してなく、面白がってネタにしていました。
友人同士を「ホーリーネーム」で呼び合う。「ポア」という言葉が飛び交う。体育の時間に跳び箱を座禅で飛ぼうと試みる。プールは「水中クンバカ」大会と化すなど、中学生時代の思い出はオウムと切っても切り離せません。
当時は九州の片田舎で暮らしていたので、オウム事件も対岸の火事。遠く離れたところで起こった現実感に乏しい出来事でした。
そのころ林間学校か何かの余興で、オウムの幹部村井の刺殺事件を寸劇にして怒られた中学生がいましたが、シンパシーを覚えたように思います。
犯罪のリアルな恐怖はなくブームとして消費していて、渋谷にあるオウムショップに行きたいな~とか、秋葉原の「マハーポーシャ」でパソコン買いたいな…とか憧れを抱いていました。
そういう人間はやはり一定数いて、「オウマー」と称してネット黎明期にアングラサイトを立ち上げて楽しくやっていたようです。
今でも興味があるのか、別の何かを見つけたのか分かりませんが、いかにも90年代末期らしい「不謹慎上等」な空気にマッチしたようです。
これほどに当時の好事家に大きなトラウマを与えたオウムですが、猛スピードで走る時間の車窓からはその姿は次第に次第に小さくなり、時たま報道される逃亡犯逮捕のニュースを耳にしても「へー、まだ逃げてたんだ」くらいの感想しか抱かなくなって行きました。
通勤で千代田線を使うようになりましたが、本当に何の感慨もなく、日比谷で降りても「ここがあの大事件の現場であったか…」としみじみ思う、ということは一度もありませんでした。
麻原にしても死刑が確定してから長い月日がたち、死刑にすると信者に「殉死」みたいに捉えられると不味いから、獄死するのを待ってるのでは…?とちょっとうがったようなことすらぼんやり考えていたのですが、このタイミングで執行とは――。
ただ思うのは、あまりに多くの時間が経ったということです。
世の中にも、自分自身にも多くの変化が起こって、ほんのわずかな色あせた記憶となっていたものが、ついにピリオドを打って、永久に過ぎ去っていくんだなという予感です。