あっという間に七月です。早いものですね。毎日暑苦しくて、冷や麦ばかり食べています。
季節を嫌というほど味わっている訳ですが、今回読んだのは「季節のない街」です。
作者は山本周五郎。前回は「青べか物語」の感想を書きました。
「青べか」がとても良かったので、青べかⅡを期待して手にとった訳です。
あとがきの開高健の文章にも励まされるものがありました。
しかし、率直な感想を言うと期待はずれだったかなと思います。
底辺で生きる人達の辛さやみじめさをテーマにしているのは共通していますが、青べかがそれでもどこか寓話的で幻想的な雰囲気を持っているのに対して、「季節のない街」はより現実的で救いの無いように見えます。
この違いは、舞台の違いに起因するのではないかと考えます。
青べかの舞台は千葉県浦安ですが、季節のない街の舞台は横浜某所だそうです。
浦安は現在では都会だと思いますが、当時は貧しい漁村で文化果てる地だったのでしょう。
対して横浜某所は貧民街ですが、どぶ川ひとつ隔てて繁華街と近接しているということになっており、より都市に近いようです。
物語のなかにも文化人くずれが何人か登場します。代表的なのが右翼の先生、寒藤清郷ですが、その他にも「プールのある家」のルンペンの父親、「がんもどき」の元中学教員、綿中京太、「肇くんと光子」の福田肇などが数えられます。
おそらくは都市から流れてきたのでしょう。彼らの存在が絶望とは何なのかを伝えているようです。
彼らは学問はあるのですが、人間的な弱さから落ちこぼれてしまい、さりとて肉体労働する気にもなれずに無為徒食の日々を送っています。
プライドがそうさせるのです。
青べかの登場人物にはそんな輩はいなかったように思います。
とんでもなく無知蒙昧だったり、逆に狡猾だったりしましたが、誰もが訛り言葉をしゃべりあるがままに生きていました。
それはまるで朝もやの中のような、ひとつの基調色に統一された世界です。
しかし季節のない街では都市と貧民街のコントラストが貧しさをするどく縁取っているのです。