「北村薫の創作表現講義‐あなたを読む、わたしを書く」を読みました。
この本は北村先生が05年と06年に早稲田で持った講義を文章化したものです。
去年の五月に出た本で、当時新品を買おうかどうか悩んで結局買わなかったのですが、古本屋に並んでいるのを見つけ、即手に入れました。見つけたときには、おもわず「あっ」と叫んでしまいました。
ものすごく面白かったです。この講義を直に聴けた生徒達はラッキーですね。
内容は講義形式のものや、ゲストのお話、生徒の提出したコラムとそれに対する評価の部分などが合わさっています。単なる小説の書き方にとどまらない、文芸一般にまつわるものになっています。
大切なメッセージがいっぱい詰まっているように思いました。まとめるのが難しいので、それぞれの章の中で「これは」と線を引いた部分をピックアップしてみたいと思います。
【第一章】
「何かを書こうとする時には、書きたい素材と不思議に巡り合うものです。
……ひどい夏風邪だとばかり思っていました。その時はね、待合室にいて寒くて仕方がなかった。《どうして、この病院はこんなにクーラーを利かしているんだろう》と思いました。ところが、体が良くなって来ると、同じところに行っても、何ともないんですね。《ああ、そうなのか。クーラーが利き過ぎていると思ったのは、こちらの体調のせいなのか》と分かりました。
これが、《書く》ということですよね。
つまり、《どうも体の調子が悪い》と語っても、それは白いところに白い字を書いているようなものなんです」
【第二章】
「心が自然に身構えていると、そこに何かがぶつかって、スパークすることがある。何事も、ただ漫然と見ているだけだと、それだけで終わってしまう」
【第三章】
「小説も芝居も、何かの取り扱い説明書とは違います」
【第六章】
「『英語でしゃべらナイト』という、NHKの教育番組があります。
釈(由美子)さんはね、英会話を学習するのに、勉強だけのテープを作ると楽しくないので、間に自分の好きな曲を入れていたそうです。英会話と交互になっている。間に御褒美が挟んである。そして《これが効果的だった》と、いっていたそうです。
わたしは、これを聞いてね、《ああ学習って、これだな》と思った。《どういう風にやったら》というのを、《自分で》考える。それが勉強なんですね」
【第八章】
「実際に、本当に動かされたんなら、その歌を(コラムに)引いてもらいたいよね。
『スウィングガールズ』って映画、観たんだよね。高校生が《ジャズやるべ》っていって、一所懸命、ジャズの練習をする。
そういう話だったら、どうしたって最後は、ジャズの演奏になる。それは作品が要求しちゃうんだよね。タイトルが「スウィングガールズ」で、《ジャズやるべ》っていって、ラストが散歩でもして《終》になったら、こりゃ納得できない」
【第十三章】
「よく、『真善美』といいます。その三つを取り入れると、小説としてはちょっと格好悪くなってしまうケースもないではない。でも、全部否定してしまったら、エンターテイメントじゃない。一方、《そういったものはないんだ》とはっきりいってしまうと、それはむしろ純文学の方になるのかなと思います」
【第十六章】
「素材は、個性によってつかむ。また書き方にも、個性がなければいけません」
いま「六の宮の姫君」を読んでいますが、重なる部分がたくさんあります。氏の作品を読む目が変わったかも知れません。
北村作品に興味があるならお勧めしたい一冊です。