この記事で紹介したソルジェニーツィン「煉獄のなかで」とエドゥアルド・ヴィヴェイロス・デ・カストロ「食人の形而上学」を読了したので、感想を記しておきたいと思います。
どっちにしようか……。
まずは「煉獄のなかで」のほう。
ソルジェニーツィンの著作は自身の体験が下敷きになっているといいます。
- 「イワン・デニーソヴィチの一日」はカザフスタンの特別収容所での肉体労働
- 「ガン病棟」は流刑先のタシケントで受けたガン治療
- 「煉獄のなかで」はシャラーシカ(※)と呼ばれる特別収容所での経験
※シャラーシカではデストピアよろしく、収監した科学者や技術者を極秘の研究に使役していました。
生きて出られるか分からない収容所のなかでは待遇が良いので、作中でルービンがダンテを引用して「(地獄の)第一圏」と呼んでおり、原題を直訳すると「第一圏」なのですが、日本人にはあまりに馴染みが無いので「煉獄」という表現を採用したそうです。
「ガン病棟」は私が今まで読んできた小説の中でナンバーワン(遠藤周作『沈黙』と悩むが)の作品です。
ほぼ同時期に執筆され、同じく文庫本2冊分の大著の「煉獄のなかで」は「ガン病棟」と並ぶ感動を期待したのですが……。
「ガン病棟」は基本的には主人公コストグロートフの闘病記録であり筋が分かりやすいです。
それに比べて「煉獄のなかで」は、まずだれを主人公と呼ぶべきか迷います。
たぶんネルジン。しかし、ルービンやソログジンも重要な役割を果たしているし、物語のきっかけとなったヴォロジンも影の主人公と言えなくもないです。
下は収容所の雑役夫、上は髭の親父(スターリン)まで多種多様なキャラが登場し、多声的重層的にストーリーが進行するので筋を追うのが大変でした。
そしてロシア人の名前の難しいことと言ったら……。
登場人物の多さに加えて、名前、父称、愛称が入り乱れて、「一体だれが言ったセリフなの?」と読み返して確認することしきりでした。
そのうち諦めて雰囲気で読み進めるようになったので、ストーリーをちゃんと理解してるのか不安ですが、ごくごく簡単に書くとこんなお話しでした。
クリスマスイブの夜、外交官のヴォロジンは世話になった医学教授が当局にマークされていることを知り、彼の家に匿名で電話を掛ける。
シャラーシカの囚人で軍隊上がりの数学者ネルジンは、言語学者のルービンと人の声をグラフィカルに分析する「声紋法」の研究をしている。
彼は助手の(囚人ではない)女の子シーモチカとねんごろの関係になりつつあるが、実は結婚していて、長い間妻とは音信不通である。
そんな中、収容所の上層部はスターリン肝煎りの「秘密電話装置」の進捗がはかばかしくなく、迫る期限に冷汗三斗の状態である。
上層部は優秀なネルジンを秘密電話装置のチームに異動させようとするが、彼は持ち前の反骨心からそれを拒み、一般収容所への追放が決まってしまう。
優秀なエンジニアのソログジンは秘密電話装置の決め手となる設計を完成させるが、設計書を奪われて用済みとされることを恐れて破棄する。
逆に「設計図は頭の中にある」と大胆にも上層部と交渉して身分の保証を得る。
さて、ルービンの元にヴォロジンの密告の通話の分析が持ち込まれ、ネルジンと協力して容疑者をヴォロジンを含む二人にまで絞り込む。
学問的厳密さを求めて渋るルービンの想いも空しく、当局は乱暴にも二名とも逮捕してしまう。ルービンは罪の意識に苦しむ。
ヴォロジンは逮捕され、天国から地獄に落ちるような転落を味わう。
ネルジンの妻は大変な労苦の末にネルジンの収容所を突き止め、ついに二人の面会が実現する。
彼は自分を忘れるように言うが、妻は操を誓う。
そして彼はシーモチカにまだ妻を愛していると決別を告げ、シベリア彼方の一般収容所に去って行くのであった――。
それにしても「声紋法」の説明はとても詳しく、現在の音声符号化に通じる内容で、ソ連の特別収容所でこのような先進的な研究が行われていたということに驚きを覚えます。
あまりに子細なので、ソルジェニーツィン自身がその研究に従事させられていたことを伺わせます。
ソルジェニーツィンがこの作品を通して言いたかったことは、表面的には科学者や技術者が強制的に汚い研究に従事させられていることへの告発かと思います。
もう少し掘ると、色々な囚人がいるが、中には甘言には騙されない骨太の囚人がいて、国家の抑圧にすら負けず不利を承知で自分の信念を通そうとすること――、だと思います。
ですが、もっとも言いたかったのは、こんな収容所でも案外楽しくやっているぜというポジティブさではないかと思います。
収容所が舞台なので、いかにも陰鬱そうなのですが、ネルジンとシーモチカがいちゃついたり、ソログジンは女職員とW不倫したりなど艶っぽい部分もあります。
そう言えば「ガン病棟」でも、コストグロートフが看護婦とねんごろになったり、ガンの少年が明日乳がんの手術のため乳房を切らなくてはならない少女に、最後の思い出におっぱいを吸わせてもらう、などと油断していたら椅子から転げ落ちそうになるエピソードがあります。
そういう「地獄みたいな所でも、人生灰色一色じゃないよ」というメッセージが、仕事とか人間関係が上手くいかなくて苦しんでいる人に希望を与え、困難に立ち向かう勇気を鼓舞するところにソルジェニーツィン文学の素晴らしいところがあるのだと感じています。
ところで去年からのロシアのウクライナ侵攻により、ソルジェニーツィンの名がプーチン大統領のロシア大国主義の思想的背景として紹介されるのをしばしば耳にするようになりました。
う~ん、ごく皮相を捉えればそうなのかもですが、ソルジェニーツィンの本質ではないんでないの?と思います。
よく引用されるのが「甦れ、わがロシアよ」ですが、たまたま手に入れていたので該当箇所をお見せしたいと思います。
読めば明らかにロシアとウクライナの統合を志向していますな……。
「野生の原野」に上がっている、クリミア、ノヴォロシア、ドンバス。
クリミアは言わずもがなロシアの後ろ盾で分離独立しました。
ノヴォロシアはウクライナ侵攻の口実となった「オデッサ騒乱」の舞台です。
ドンバスは戦争の激戦地として頻繁にテレビ報道されています。
見事にウクライナのあやふやな輪郭を言い当てているではないですかー。三十年の時を経て不安は現実のものになっています。
しかししかし、力ずくで併合せよなどとは全く書いておらず、それどころか「実際に分離を望むなら、それを無理に抑えることは誰にもできない。」と留保しています。
思えばソルジェニーツィンの文学とは、力ずくの政策に対する異議申し立てそのものです。
まだ存命だったとしたら(百歳超えてますが…)、プーチンの尻馬に乗ってウクライナ併合に迎合するなんてことは有り得ないでしょう。
逆に地獄のような暮らしを強いられているウクライナの戦争被害者を励まし、抑圧者に対抗する勇気を鼓舞するのではないでしょうか。
(「煉獄のなかで」の記事が長くなってしまったので、「食人の形而上学」については別に分けて載せようと思います)