2022年の読書を振り返って(2)「食人の形而上学」

この記事の続き。元記事はこれ

あまりに難解(というか使われている用語の意味が分からない…)なので、読み終わるのにかなりの時間がかかりました。
しかしどうにか除夜の鐘を聞く前に読了。
と言ってもこれを読了と言ってよいのか……?
とにかく目は通した、というのが正直なところです。

やはり最後まで読んでも「こういう民間伝承があるので、パースペクティヴ主義を提唱するに至った」みたいな具体的は話は無く、概念をいじくり回すような「形而上学」的な議論に終始しました。
その議論があまりにワケワカメなので、並行して文化人類学やポスト構造主義についての本やサイトを副読書として参照しました。
そちらの方に今まで知らなかった新鮮なアイディアがあり、この本から自体というのではないですが、知的好奇心を得るきっかけとしては良かったのかな?と思います。

帯にレヴィ=ストロース×ドゥルーズ+ガタリ×ヴィヴェイロス・デ・カストロとあるので、まずはレヴィストロースから攻めました。

レヴィストロースは私でも聞いたことがある、高名な文化人類学者で、構造主義を生み出して思想界に絶大な影響を与えたスゴイ人ですね。
アマゾン原住民の親族研究で、近親相姦を回避する結婚ルールに数学的パターンが存在することを発見しました。
原住民のなかに数学者がいるはずもなく――、世の中には目に見えない構造があり、人々は数学的根拠を意識することなくそれを実践しているということを明らかにしたのです。
また「野生の思考」あるいは「ブリコラージュ」ということも言い、アマゾンの人たちが身近な事物の関係性を比喩として用いて、上記のような見えない構造の実践を行っていることを示しました。

つまりおとぎ話のような神話を信じて、乱脈に生きているとタカを括っていたアマゾン原住民が、実は精緻な数学的構造を持った行動様式を持っていて、彼らなりの思考様式でそれを誤りなく実践していることが分かったのです。
これはそれまでの西洋中心の思想界にガツンとインパクトを与え、それ以降の20世紀の思想の潮流は多文化主義&構造主義(事物の裏にある見えない構造を見つけること)になっていきました。

私が思うに、ヴィヴェイロス・デ・カストロは野生の思考をインディオの狩猟に当てはめて、彼らの身近なシンボル(バク、ペッカリー、ジャガー、とうもろこしなど)を用いた比喩による言説と実践を研究して、背後の構造を明らかにしようとしている。
その構造がパースペクティヴ主義なのか、パースペクティヴ主義はその構造を解き明かすための道具なのか、私の薄い理解では判然としませんでしたが……。

次にジル・ドゥルーズとフェリックス・ガタリ。ポスト構造主義を代表する学者ですが、とにかく何を読んでも良く分からなかった……。
何となくの理解ですが、哲学する上での土台を整理する哲学……、みたいな。

古今様々な哲学者がいましたが、彼らはてんでバラバラの前提条件に立って議論しているので、同一の物差しを持って良し悪しを議論することはできない。
曰く、「内在平面」「概念的人物」「哲学地理」の三つが重要である。

  • 「内在平面」――は、何を暗黙の了解としているかということ
  • 「概念的人物」――は、どういう立場に立って議論しているのかということ
  • 「哲学地理」――は、その哲学が生まれた歴史的地理的背景

これらの違いを意識しないとまともな議論にはならないよ、ということを主張していたようです。

たぶんヴィヴェイロス・デ・カストロはこの本の中で、自分のパースペクティヴ主義は(ポスト構造主義と呼ぶに相応に――?)上記の要請を満たしているよ、ということを言いたかったのでしょう。
それが「生成」だの「リゾーム」だの「分子的」だのと言ったドゥルーズ語で語られるので異様に難解な議論の様相を呈しているのではないかと思います。
(自信無し……)

全然的外れかも知れませんが、ドゥルーズとガタリのアプローチを見て、大学時代に物理のコースで学んだ解析力学を思い出してしまいました。
とても形式的で難解だったので正しく理解してないと思いますが、確か「色んな座標系で表現されうる物理の方程式を、座標系の取り方によらない一般的な形に再形式化する」みたいな話でした。
何か空を掴むような具体性のない議論で苦手でしたねー。
しかしそれが便利で美しいと感じる学者もいっぱいいる(だからこそ大学の授業になってるのですが)ので、ドゥルーズとガタリの理論を通して文化人類学を再形式化したいというのも、同じような欲求が働いているのでは?とボンヤリ思います。

レヴィストロース、ドゥルーズ&ガタリ、ヴィヴェイロス・デ・カストロと見てきて、数学コンプレックスというのも透けて見えるように思います。
その辺り「ソーカル事件」で思いっきりバカにされてしまいましたが、ポストモダン哲学に限らず、人文科学は自然科学に対して引け目を感じる部分があったりするのかな……?と。

数学の証明のように厳密な論理展開が出来れば、誰にとっても納得の理論を構築することができ、「文句があるなら言ってみやがれ」と胸を張ることが出来ますが、文化人類学のごとき曖昧なものを対象とする学問ではなかなか難しい。
きっとどこかで「それってあなたの感想ですよね」とブッスリ刺されてしまう不安を抱えているんでしょう。
それを防ぐための理論武装が上のようなドゥルーズとガタリの理論なんじゃないでしょうか。

ただ、論理的厳密さはないけど学者個人のキャラクターに基づく洞察から生み出された理論というのも、外野から見る分には面白いですけどね。
(フロイトの理論とかそうではないですか?)

2022年の読書を振り返って(1)「煉獄のなかで」

この記事で紹介したソルジェニーツィン「煉獄のなかで」とエドゥアルド・ヴィヴェイロス・デ・カストロ「食人の形而上学」を読了したので、感想を記しておきたいと思います。

どっちにしようか……。
まずは「煉獄のなかで」のほう。

ソルジェニーツィンの著作は自身の体験が下敷きになっているといいます。

  • 「イワン・デニーソヴィチの一日」はカザフスタンの特別収容所での肉体労働
  • 「ガン病棟」は流刑先のタシケントで受けたガン治療
  • 「煉獄のなかで」はシャラーシカ(※)と呼ばれる特別収容所での経験

※シャラーシカではデストピアよろしく、収監した科学者や技術者を極秘の研究に使役していました。
生きて出られるか分からない収容所のなかでは待遇が良いので、作中でルービンがダンテを引用して「(地獄の)第一圏」と呼んでおり、原題を直訳すると「第一圏」なのですが、日本人にはあまりに馴染みが無いので「煉獄」という表現を採用したそうです。

「ガン病棟」は私が今まで読んできた小説の中でナンバーワン(遠藤周作『沈黙』と悩むが)の作品です。
ほぼ同時期に執筆され、同じく文庫本2冊分の大著の「煉獄のなかで」は「ガン病棟」と並ぶ感動を期待したのですが……。

「ガン病棟」は基本的には主人公コストグロートフの闘病記録であり筋が分かりやすいです。
それに比べて「煉獄のなかで」は、まずだれを主人公と呼ぶべきか迷います。

たぶんネルジン。しかし、ルービンやソログジンも重要な役割を果たしているし、物語のきっかけとなったヴォロジンも影の主人公と言えなくもないです。
下は収容所の雑役夫、上は髭の親父(スターリン)まで多種多様なキャラが登場し、多声的重層的にストーリーが進行するので筋を追うのが大変でした。

そしてロシア人の名前の難しいことと言ったら……。
登場人物の多さに加えて、名前、父称、愛称が入り乱れて、「一体だれが言ったセリフなの?」と読み返して確認することしきりでした。
そのうち諦めて雰囲気で読み進めるようになったので、ストーリーをちゃんと理解してるのか不安ですが、ごくごく簡単に書くとこんなお話しでした。

 クリスマスイブの夜、外交官のヴォロジンは世話になった医学教授が当局にマークされていることを知り、彼の家に匿名で電話を掛ける。
 シャラーシカの囚人で軍隊上がりの数学者ネルジンは、言語学者のルービンと人の声をグラフィカルに分析する「声紋法」の研究をしている。
 彼は助手の(囚人ではない)女の子シーモチカとねんごろの関係になりつつあるが、実は結婚していて、長い間妻とは音信不通である。
 そんな中、収容所の上層部はスターリン肝煎りの「秘密電話装置」の進捗がはかばかしくなく、迫る期限に冷汗三斗の状態である。
 上層部は優秀なネルジンを秘密電話装置のチームに異動させようとするが、彼は持ち前の反骨心からそれを拒み、一般収容所への追放が決まってしまう。
 優秀なエンジニアのソログジンは秘密電話装置の決め手となる設計を完成させるが、設計書を奪われて用済みとされることを恐れて破棄する。
 逆に「設計図は頭の中にある」と大胆にも上層部と交渉して身分の保証を得る。
 さて、ルービンの元にヴォロジンの密告の通話の分析が持ち込まれ、ネルジンと協力して容疑者をヴォロジンを含む二人にまで絞り込む。
 学問的厳密さを求めて渋るルービンの想いも空しく、当局は乱暴にも二名とも逮捕してしまう。ルービンは罪の意識に苦しむ。
 ヴォロジンは逮捕され、天国から地獄に落ちるような転落を味わう。
 ネルジンの妻は大変な労苦の末にネルジンの収容所を突き止め、ついに二人の面会が実現する。
 彼は自分を忘れるように言うが、妻は操を誓う。
 そして彼はシーモチカにまだ妻を愛していると決別を告げ、シベリア彼方の一般収容所に去って行くのであった――。

それにしても「声紋法」の説明はとても詳しく、現在の音声符号化に通じる内容で、ソ連の特別収容所でこのような先進的な研究が行われていたということに驚きを覚えます。
あまりに子細なので、ソルジェニーツィン自身がその研究に従事させられていたことを伺わせます。

ソルジェニーツィンがこの作品を通して言いたかったことは、表面的には科学者や技術者が強制的に汚い研究に従事させられていることへの告発かと思います。
もう少し掘ると、色々な囚人がいるが、中には甘言には騙されない骨太の囚人がいて、国家の抑圧にすら負けず不利を承知で自分の信念を通そうとすること――、だと思います。
ですが、もっとも言いたかったのは、こんな収容所でも案外楽しくやっているぜというポジティブさではないかと思います。

収容所が舞台なので、いかにも陰鬱そうなのですが、ネルジンとシーモチカがいちゃついたり、ソログジンは女職員とW不倫したりなど艶っぽい部分もあります。
そう言えば「ガン病棟」でも、コストグロートフが看護婦とねんごろになったり、ガンの少年が明日乳がんの手術のため乳房を切らなくてはならない少女に、最後の思い出におっぱいを吸わせてもらう、などと油断していたら椅子から転げ落ちそうになるエピソードがあります。

そういう「地獄みたいな所でも、人生灰色一色じゃないよ」というメッセージが、仕事とか人間関係が上手くいかなくて苦しんでいる人に希望を与え、困難に立ち向かう勇気を鼓舞するところにソルジェニーツィン文学の素晴らしいところがあるのだと感じています。

ところで去年からのロシアのウクライナ侵攻により、ソルジェニーツィンの名がプーチン大統領のロシア大国主義の思想的背景として紹介されるのをしばしば耳にするようになりました。

う~ん、ごく皮相を捉えればそうなのかもですが、ソルジェニーツィンの本質ではないんでないの?と思います。

よく引用されるのが「甦れ、わがロシアよ」ですが、たまたま手に入れていたので該当箇所をお見せしたいと思います。


読めば明らかにロシアとウクライナの統合を志向していますな……。

「野生の原野」に上がっている、クリミア、ノヴォロシア、ドンバス。

クリミアは言わずもがなロシアの後ろ盾で分離独立しました。
ノヴォロシアはウクライナ侵攻の口実となった「オデッサ騒乱」の舞台です。
ドンバスは戦争の激戦地として頻繁にテレビ報道されています。
見事にウクライナのあやふやな輪郭を言い当てているではないですかー。三十年の時を経て不安は現実のものになっています。

しかししかし、力ずくで併合せよなどとは全く書いておらず、それどころか「実際に分離を望むなら、それを無理に抑えることは誰にもできない。」と留保しています。

思えばソルジェニーツィンの文学とは、力ずくの政策に対する異議申し立てそのものです。
まだ存命だったとしたら(百歳超えてますが…)、プーチンの尻馬に乗ってウクライナ併合に迎合するなんてことは有り得ないでしょう。
逆に地獄のような暮らしを強いられているウクライナの戦争被害者を励まし、抑圧者に対抗する勇気を鼓舞するのではないでしょうか。

(「煉獄のなかで」の記事が長くなってしまったので、「食人の形而上学」については別に分けて載せようと思います)