10月に入ったところで急な訃報に驚きましたね。
入院して激やせした映像が出た時には「いよいよか」と思いましたが、それから持ち直したように見えたんですけどね。
中高生のころ、下あごを突き出して「元気ですか?」「何だコノヤロウ!」などモノマネして遊んでいたものですが、現役の頃の試合を見た事は無かったです。
東京ドームでやった引退試合が地上波放送されたので、それを見た事があるくらいですね。
私が熱心にプロレスを見始めた、2000年頃ではプロレス界のみならず格闘技界全体のドンという感じで君臨していました。
その功績は新日本プロレス旗揚げ、モハメドアリとの異種格闘技戦、北朝鮮でウン十万人の前で試合するなど偉業に枚挙のいとまがありません。
しかし山高ければ谷深しではありませんが、毀誉褒貶半ばするところがあるようです。
私としてどうなのかな~と思うところは、格闘技ブームのころ、オーナーの力で新日本プロレスのトップレスラー達をK-1やらPrideやらの選手たちと戦わせて見るも無残な負け方をさせた事ですね。
それでプロレスラーへの幻想が潰えてしまって、暗黒期と言われる低迷の時代を長引かせることになったのだと思います。
しかし、イベントの最後に出てきて「1・2・3ダァー!」とやると大盛り上がりで、しっかりと締まってしまうという……。
実に憎いというか、この人はこういう人なんだと周りは納得するしかなかったと思います。
そういう苦い思い出を経て、新日本プロレスは棚橋選手を中心に脱イノキズムを進めて、幅広い層に受け入れられるような明るく楽しいプロレスを追求して人気を盛り返してるんですよね。
なので、新日本プロレスにとってみればアントニオ猪木は確かに偉大な親なんですが、「毒親」ということだったんでしょうね。