最近アマプラで観た映画

「メッセージ」以外で、最近アマプラで観て印象に残った作品を挙げていきます。

■リーマンブラザーズ 最後の四日間
これは「マネーショート」を観て感動したので、もうちょっと知りたくなり、関連作品に出てきたのを観ました。
当時ニュースで、リーマンは破綻したもののなぜかAIGは救済されて、それについてリーマンの社長みたいな人が恨み言を言っていたのを薄っすら覚えていました。
その恨み言を言ってたのが例の「ゴリラ」の異名を持つリチャード・ファルドCEOだったという。
そう言えばこんなゴリラ顔だったような…、気がします。

ほとんど財務長官とウォール街のヘッド達が難しい顔突き合わせて会議するシーンで成り立っていて、絵的にはちょっと地味ですね。
しかし重厚な演技に派手さは無くても引き込まれるものがありました。

当時の財務長官ヘンリー・ポールソンは、早々にリーマンを救済しないと宣言しつつも他のウォール街のヘッド達にはリーマンを買って金融危機を回避するように半ば脅しのように要請します。
で、一時はバンカメに救ってもらえるかな~と希望を持ったものの流れ、最後の頼みの綱の英バークレイズにもフラれて詰みとなりあえなく倒産します。
そんな中、内情は同じく火の車のメリルリンチはまんまとバンカメに身売りを成功させ、CEOのジョン・セインはホクホクとボーナスを貰ってから退職するという…。

重厚なドラマに見えますが、裏には実に浅ましい思惑が渦巻く世界で、まぁウォール街とはやはりロクデモない所なんだなと再認識できる作品でした。

■マジックマネー ビットコイン革命
リーマンから10年以上経って、今はどうなんだ?とホットなトピックである仮想通貨を知るために観てみました。
仮想通貨の概要を知ることができてまぁ面白かったですが、要するにビットコインマンセー番組ですね。
一体何者なんだと言いたくなるような、実に胡散臭い有象無象のビジネスマンが登場して、異口同音にビットコインを褒め称えます。
知らないうちに金融商品にビットコインを始めとした仮想通貨が組み入れられて、バブルが弾けたら「何で「ドージ」は救ったのに「モナコイン」は潰されたんだ?!」みたいな恨み言が報道される未来にならないように願っています。

■デジタル・スーパースター列伝 闇の世界の超人たち
何とも仰々しいタイトルですが―――。
なんかアマプラの作品リストを延々繰っていくと、こういうアングラ臭溢れるのがあるんですよね…。

電話マニアのミスターPBXとファイル共有マニアのなんとかさんの2部構成となっています。
ファイル共有マニアの方はやってることも暮らし振りも本当にどうしようもなく、観る価値を感じませんでしたが、ミスターPBXの方は面白かった! まあ言ってる意味は8割がた理解できませんでしたが――。
いたずらっ子のような表情の輝きが素敵でした。こういう突き抜けた人は、やってることがあまり褒められたことではなくても、ちょっと胸のすくような思いをさせてくれますね。
あと80年代の秋葉原の思い出(マーズマーケティングカンパニー)なども興味深く、なんとも濃い~ぃ読後感のある作品でした。

■運び屋
2018年公開の、クリントイーストウッド監督・主演作品。
すごい傑作という訳ではないと思いますが、アメリカ南部の田舎の雰囲気が伝わる佳作だと思います。

■J・エドガー
これもクリントイーストウッド監督作品。(2011年)
主演はレオ様で、過去の回想で青年役、現在(と言っても60年代)で老人役を演じています。
FBIの初代長官で長らくその座に居座ったフーヴァーが、いかにして現在につながる強力な組織を作り上げて行ったかについて、彼の家族(マザコン)や性的志向なども織り交ぜながら追っていく話です。
FBIの歴史を知るドキュメントとしては非常に面白いと思います。

エドガー・フーヴァー自身については、世間の毀誉褒貶半ばする評価そのままに、善とも悪とも言いようのない、ただただ巨大なエゴがスクリーンに立ち現れてきます。
時系列が頻繁に過去と現在を行き来するので、筋が分かりづらく、どちらかと言うと難解な映画ですねー。

映画「メッセージ」を観て

(すいません。容赦なくネタバレしてます)

最近アマプラで観ました。

2017年公開。
「ばかうけ」みたいな形のUFOに乗って地球にやってきた宇宙人とコミュニケーションしようと四苦八苦する映画です。
UFOを扱った映画は数多くありますが、侵略者だったり「ET」みたいに簡単に意思疎通できてしまうものが大抵だと思いますが(じゃなきゃお話が進まないので……)、現実に地球外生命体と接触したなら、まずはどうやってコミュニケーションをとるのかが大問題となる筈です。

そこに真正面にフォーカスした作品で、知的好奇心を掻き立てられる良質のSF作品です。
17年の公開当時から気になっていて、いつか配信されるんじゃないかと期待していたのですが、やっっと観ることが出来ました!
そして期待通り、いやそれ以上の素晴らしい映画だった!!
そうですね…、私がHULU、アマプラで観てきた映画の中で5本の指に入ると思います。残り4本のうち2本は「300」と「アポカリプト」ですが―――。

そんな斬新な切り口の宇宙人はちょっとステレオタイプな2体のタコ型宇宙人。(アボットとコステロ)
七本足なので、「ヘプタポッド」と呼ばれてます。
宇宙船内に招き入れられた主人公たちは、まずは言葉でやり取りできないか呼びかけてみますがダメ。
ホワイトボードに文字を書いて見せたところ、向こうも墨を吐いて円形に文字らしきものを描き出してみせます。(ほんとタコみたい…)
そのことが端緒となって宇宙人の言語さらには思考様式が次第に明らかになっていくという筋です。

宇宙人の文字は莫山先生がよかいちのCMで書いてた「まる」そのもの……。(古いッ!!)
「絵でしょ?」としか思えませんが、微妙な刷毛捌き(?)が細かな意味を表しており、一筆で複雑な文章を表現しているといいます。
たぶん初めて漢字を見た外国人も同じように感じるんでしょうね…。

その文字から分かったのは、宇宙人の文字は表意文字で、普通の地球上の言語のようにS・V・O的な順次的な語順は持たないこと。
というより宇宙人の思考自体が地球人のように時系列に沿ったものではないことが分かってきます。
つまり原因⇒結果という「アタリマエ」と思われる論理は彼らには無く、原因と結果の関係があらかじめあり、それを時間順に観測するのも逆に観測するのも等価と考えているらしい。(何のこっちゃでしょう?)
(原作小説では因果論的(人類)⇔目的論的(ヘプタポッド)と比されているよう)

しかしながらこのアイディアには、個人的な体験から思わずはっとさせられるものがありました。
ウチの寝室の照明はリモコンで調光できるのですが、ボタンを押すことで明るさがサイクリックに変化します。(点灯⇒常夜灯⇒消灯⇒点灯⇒…)
このごろ子供が起きると自分で部屋の照明のリモコンを操作するようになったのですが、明かりが点いたにもかかわらずボタンを押し続けて再び消してしまうことがよくあります。
「なんで~?」と思っていたのですが、サイクリックな調光というのは良く考えると強度に逐次的な動作と言え、子供はむしろ生得的には目的論的な発想をするのではないかと思います。
つまり「部屋の明かりが点く」と「リモコンのボタンを押す」ということの関係だけが存在し、その順序は問題としていないようなのです。
そこから因果論的発想は実は後天的なもので、成長するにつれ獲得し、常識として理解を深めていくはないかと感じていました。

とは言えヘプタポッドは超光速で宇宙を航行するUFOを作るほどの高度な科学力を持っており、子供の知能にとどまっているわけではありません。
その秘密はまさに目的論的、というか、映画では「非線形的」という言葉で形容されているところの宇宙人の思考様式にあると思います。
この「非線形」というワードは文系の人には馴染みが無いと思いますが、私のような小学校時代に「ニュートン」やら「ブルーバックス」を読んで他の子たちより頭が良くなったような錯覚を楽しんでいた嫌なガキには憧憬すら覚える言葉です。

線形というのはここで言うと因果論的ということで、原因に対して結果がはっきりとしているようなケースです。
逆に非線形というとあらかじめ原因と結果がある関係を持つように定められており、その関係を優先するために原因が制限を受けるような、まことに不思議なシチュエーションを示しています。

普通(というと語弊があるけど…)の物理法則は線形の方程式で、だからこそ普段生活しているうえで原因⇒結果という単純な経験則が成り立つのですが、世にも名高い相対性理論は非線形の方程式なんですな。
(光の速度に近づくと時間の進みが遅くなったり、空間が歪んだりするのはその副産物)

で、真の物理法則を名乗るためにはどんな物理の方程式も相対性理論の要請を満たす形にしなければならないとされていて、線形の方程式で記述されるような物理の理論はあくまで真の理論の簡易版に過ぎないと考えられています。
ただこの非線形性の要請はかなり厳しいらしく、超ひも理論とか色々提言されているようですが、21世紀に入ってもまだ決着していないと聞いています。

これはまったく当てずっぽうの放言なのですが――、本質的に目的論的な物理法則を因果論的な形で理解しようとしているために生まれた、もしかしたら不要な苦しみなんじゃないかと思います。
例えば円の方程式を直交座標を使用してy=○○式に記述すると、結構不自然な形になりますが、極座標を使用するとごくシンプルに書けます。
思考の座標変換と言いますか、つまりヘプタポッドよろしく目的論を思考の中心に据えた場合、そもそも線形という概念が無いので「非」線形などという発想は生まれるはずもなく、真の物理法則を我々がニュートンの法則をごく当たり前と感じるように、ごく当たり前に受け入れられるのではないかと思います。

ただ良いことばかりではなく、ヘプタポッドは「いつ地球に到着する」などと言った計画は全く立てられなかったはずです。
また彼らは宿命的に運命論者となるので、滅ぶべき運命にあるとしたら何もせずに滅んでいたはずだし、地球人と交わる運命になければ旅に出なかったでしょう。
ヘプタポッドと地球人はあらかじめ出会うことが定められていたからこそ彼らはやってきたのです。
なので「3000年後に地球人に救ってもらうために来た」という映画のセリフは明らかにおかしいです。
それもそのはずで、やっぱり原作にはそのような説明は存在しないんだそうです。