パソコン20年史

この間のオウム報道に触発された――、訳でもないですが、ふと昔を振り返って自分のパソコン史をまとめておきたくなりました。
指折り数えたところ、このまえ記事にしたLenovo ideapad520で6代目ということになります。(サブで使っていたノートパソコンや、サーバなどは除いて)

以前はいじりやすいデスクトップを所有して、改造に血道を上げていましたが、この頃はそのままでも充分速いことと、年のせいかイロイロとめんどくさくなり、お仕着せで良いやという心境にまで至ってますね。

ただ、この機会に昔のパソコンのことを調べてみると、あの頃のロマンが蘇るというか、青春の埋火のようなものを感じずにはいられませんでした。
多分私のようなかつてのパソコン大好き少年(今はパソコン愛好中年?)にはそれぞれのパソコン史があり、思い入れのあるモデルがあるのでしょう。
そんな私のパソコン20年史です。

~1代目~
東芝 DynaBook GT-R590
現役期間:1995~2000年

ノートパソコンです。
父親が仕事で家に持ってきたもので遊ばせて貰っていました。
二台あって、それぞれWin3.1とWin95が入ってました。

CPUは初代Pentium90MHz、メモリ8MB、HDDは810MBという、今にしてみると想像を絶する低スペックですね。
大したアプリは入ってなかったのですが、「ホバー」とか「マインスイーパー」とかOSに付属しているゲームでバカみたいに遊んでいました。

同級生にパソコン好きがいて、彼はNECのPC98を持っていました。
それは言うまでもなくHなゲームをするためだったのですが、当然インストールしてくれとお願いすることとなります。
結構仲良かったので快く引き受けてくれたのですが、インストールできず…。
あの手この手と試してみても、結局上手くいかず断念しました。
原因はNECはPC-98 DOS、東芝はDOS/VとOSが異なっていたせいですが、当時は良く分からず混乱してましたね~。

結局このノーパソは「ワード」で学校のレポートを作ったり、「ペイント」でお絵かきしたりというまっとうな用途にしか使われませんでした。
それでも初めて触れたパソコン、初めてのWindows体験で、触れているだけですごく楽しかったことを覚えています。

その後、大学進学に伴い上京したのですが、このパソコンは持っていきませんでした。
大学のコンピュータ室にあったのはマック(iMacの前の世代)で、インターネットに初めて触れたのはこれですね~。
ブラウザはネットスケープでした。
掲示板に初めて投稿した時の感動をいまでも覚えています。

しかしレポートとかで個人のパソコンが必要になってきたので、母親に頼んでこのダイナブックを送ってもらいました。
当時としてもやはり性能がイマイチだったので、メモリを増設(8MB→40MB)するなどしましたが、力不足は否めず、21世紀に入ると同時に後進に道を譲ることに…。
ちなみに32MBの増設メモリに一万二千円使いました。今思うとなんと高価なメモリだったことか…。

~2代目~
NEC PC-9821 VALUESTAR V16
現役期間:2001~2002年

これはタワー型デスクトップですね。
憧れ(?)のPC98です。
友人が使わなくなったのを1万円で譲ってもらいました。

スペックはCPU Pentium166MHz、メモリ32MB、HDD3GB(うろ覚え)と微増。
残念ながらこれでは全く使えないので、結構な投資をして改造をすることに――。
ただPC98の時代は終わりつつあり、結構な出費を強いられることになりました。

まず、BuffaloのHK6-MD400というCPUアクセラレータを使用して動作周波数を400MHzにアップしました。
2万円くらいしました。
さらにメモリを増設して96MBに。これは1万円くらいの投資だったはず。

それからグラフィックボードも増設したのですが、PC98用のグラボというのはあまりなく苦労しました。
IOデータのGA-S2K32/PCIというのを探し出して買った思い出があります。これも2万円くらいしたかな~。
最終的に5万円くらい追加投資したことになりますね…。
新しいパソコンを買ったほうが安かったのでは…?という気がしなくもありません。
ただ当時はパソコンを少しでも速くするためにアレコレと試行錯誤するのがものすごく楽しかった。
将来ITの道にすすむ、その萌芽がこの時期に生まれた気がします。

また、家でダイアルアップでインターネットに初めて接続したのもこのパソコンです。
プロバイダはライブドアでした。
ゼロと並んでプロバイダー料無料というのがウリだったんですよね。
あの接続するときの「ピー、ピロピロ…」という音が懐かしいです。
しかし、ある月に通信料を一万円以上使ってしまい父親から怒られてからヤフー!BBに乗り換えました。

かなり愛着のあるパソコンでしたが、ある時ブラウザクラッシャー(流行っていた)を踏んでしまい、それ以降起動しなくなってしまったので乗り換えを余儀なくされたのでした。

~3代目~
DELL DimensionV400c
現役期間:2002~2005年

これもタワー型デスクトップです。
先代が急逝してしまったため、急きょハードオフで求めたデルのパソコンです。
スペックはCeleron400MHz、メモリ64MB、HDD8.4GBでした。

値段は3万くらいだったと思います。スペックをなるべく落としたくないのと、金額とのバランスで相当悩んだことを覚えています。
前のパソコンの増設メモリとグラボはそのまま使えました。
CPUは後に秋葉原でPentium3 650MHzを購入して換装しました。

これは後にメイン機を退いた後もLinuxをインストールしてサーバとして活躍してくれました。
(電話帳みたいなサーバ構築本に付属していたFedora Core6でした(インストールCDが5枚もあった))
色々と勉強させてくれた、愛着あるパソコンでしたね。

~4代目~
Sofmap 牛丼パソコン並盛
現役期間:2005~2009年

これは初のメーカー以外のパソコンですね~。
ソフマップが出していたショップブランドPCです。
就職してお金ができたため、パソコンを買い替えようと思い立ちアキバに繰り出しGETしました。

「牛丼パソコン」というのがいかにもデフレ臭です。他にも「バーガーパソコン」などのラインナップがありました。

スペックは、CPU CeleronD2.53GHz、メモリ256MB、HDD128GB、OS無し。値段は4万円ほどでした。
スリムタワー型で黒い筐体でしたね。
スタイリッシュでしたが、冷却ファン音がかなりうるさかったです。

これは最もスピードアップを感じた乗り換えでした。
これ以降、実用的にはもう困ることはなくなりました。

~5代目~
グッドボックス(BTO)
現役期間:2009~2018年

つい最近までメインPCとして使っていました。実に9年にも渡って現役を張ってくれました。

名古屋に引っ越したころ、“OSx86“というパソコンにmacOSを入れるプロジェクトを試してみたくなったためBTO屋に依頼して作ってもらったものです。
スペックは、CPU C2D(E7500)2.93GHz、メモリ4GB、HDD500GB
お値段は5万5千円でした。

このマシンではMAC体験が出来て良かったですね。
ただ、新しいOSにアップデートできなかったので次第に使いづらさを感じ始め、2015年にWin8.1に乗り換えました。
さらに翌年にはWin10にアップデートしています。
ただ実用的には困っていませんし、この9年間でハードに加えた変更は4Kテレビに映すためにグラボを変えたことくらいです。

こうして20年間を振り返ると、もうパソコンの性能は充分に成熟して、普通に使う分にはユーザを煩わすことは無くなったのだなと感じます。
ただ、手のかかる子ほど可愛いではありませんが、パソコンを少しでも速くするために試行錯誤していた時代が懐かしくも思えます。

6代目はこの記事に紹介していますが、もしかして10年以上使うことになるのではないかという予感がしています。

オウム真理教の思い出

遂にこの日が来たか?!という感じです。
麻原彰晃と教団幹部らの死刑が執行されました。

サリン事件の当時、私は中学生でしたが、当時の報道たるや凄かったですね~。
毒ガスとか兵器を秘密裏に作ろうとしていた「サティアン」とか、ヘッドギアをして座禅をしながらピョンピョン跳ねる謎の修行とか、尊師の入った風呂の残り湯を高値で売って有難がって飲むとか…。
あまりの異質のカルチャーに、多感な時期の我々は眉をひそめた――、などということは決してなく、面白がってネタにしていました。
友人同士を「ホーリーネーム」で呼び合う。「ポア」という言葉が飛び交う。体育の時間に跳び箱を座禅で飛ぼうと試みる。プールは「水中クンバカ」大会と化すなど、中学生時代の思い出はオウムと切っても切り離せません。

当時は九州の片田舎で暮らしていたので、オウム事件も対岸の火事。遠く離れたところで起こった現実感に乏しい出来事でした。
そのころ林間学校か何かの余興で、オウムの幹部村井の刺殺事件を寸劇にして怒られた中学生がいましたが、シンパシーを覚えたように思います。
犯罪のリアルな恐怖はなくブームとして消費していて、渋谷にあるオウムショップに行きたいな~とか、秋葉原の「マハーポーシャ」でパソコン買いたいな…とか憧れを抱いていました。

そういう人間はやはり一定数いて、「オウマー」と称してネット黎明期にアングラサイトを立ち上げて楽しくやっていたようです。
今でも興味があるのか、別の何かを見つけたのか分かりませんが、いかにも90年代末期らしい「不謹慎上等」な空気にマッチしたようです。

これほどに当時の好事家に大きなトラウマを与えたオウムですが、猛スピードで走る時間の車窓からはその姿は次第に次第に小さくなり、時たま報道される逃亡犯逮捕のニュースを耳にしても「へー、まだ逃げてたんだ」くらいの感想しか抱かなくなって行きました。
通勤で千代田線を使うようになりましたが、本当に何の感慨もなく、日比谷で降りても「ここがあの大事件の現場であったか…」としみじみ思う、ということは一度もありませんでした。

麻原にしても死刑が確定してから長い月日がたち、死刑にすると信者に「殉死」みたいに捉えられると不味いから、獄死するのを待ってるのでは…?とちょっとうがったようなことすらぼんやり考えていたのですが、このタイミングで執行とは――。

ただ思うのは、あまりに多くの時間が経ったということです。
世の中にも、自分自身にも多くの変化が起こって、ほんのわずかな色あせた記憶となっていたものが、ついにピリオドを打って、永久に過ぎ去っていくんだなという予感です。

映画ビューティフルマインドを観て

2001年公開なので、かなり古い映画ですが、Huluでやってたのでなんとなく観てしまいました。

ラッセル・クロウ演じる変人の数学者が国家の陰謀に巻き込まれて~、みたいな内容なのですが途中から何か変だな…という感じになる。
ネタバレになりますが、実は統合失調症を患っていて、陰謀云々は妄想だったことが明らかになります。
これは実話で、ノーベル賞を獲ったジョン・ナッシュの半生が下敷きとなっています。

つまり、天才と○○は紙一重…。

雑誌からソ連のスパイの暗号を探し出そうと、部屋中を理解不能なメモでいっぱいにするシーンは、観客に思わず「アカン…、終わっとる…」と唾を飲ますものでしょう。
しかしその情熱や恐ろしいもので、これほどの熱量がまともな研究に向けられていたら人類の進歩にどれだけ貢献したことだろうと思われます。

ちょっと興味が沸いてウィキペディアで調べてみると、統合失調症の原因は未だによく分かっておらず、百家争鳴、仮説の域を出ない様々な説が唱えられている状態のようです。
そこで気になったのは遺伝説。
誤解があったら申し訳ないですが、以下のような内容(だと思います)
健常者の脳の容積は思春期以降に減少する。でもこれは脳を成熟させるために必要なこと。
その証拠に知能の高い人の脳は大きく減っていることが多いらしい。
で、統合失調症の患者の脳も委縮しているケースが多い。
つまり、脳の容積を減らす遺伝子が誤って動作して病気の原因になる。

この説が面白い、というか個人的に腑に落ちた点は、知能が高いほど実は脳が小さいという点。
知能が高い、というのは合理的な思考ができるということですよね。
それができるのはズバリ! 合理的な思考をする以外の脳が無くなっているから――(えーッ??!)

確かに10代の頃は多感な時期と言って、色んなことに興味があったり、詰まらないことでクヨクヨ悩んでみたりと、脳の合理的な部分も、非合理な部分も同時に活動していた感がありました。
大人になるにつれて非合理的な部分は無くなっていき、人生の様々な問題にあまり悩まずに回答が見つけられるようになる。
と同時に、新しいことへの興味が無くなり、音楽も聴かなくなり、パターン化された生活にも抵抗がなくなって行く――、と書くとサビシイですね。

多くの大人が辿るように脳の非合理的な部分が縮小していけば、良いんでしょうが、それがあべこべになると非合理的な思考が強化されて、統合失調症のような症状を生み出すのかなぁと勝手に想像しています。

前に、統合失調症を患った人の手記「ボクには世界がこう見えていた(小林和彦著)」を読んでとても共感を感じたことがありました。
何だか、自分にも統失の気があるんじゃないかとも思ったのですが、そう考えた人は意外と多いんじゃないかな?

ビューティフルマインドの中のジョン・ナッシュが恋人(後の奥さん)とデートしているシーンで、星空から「傘」の星座を見つけ出す(作り出す?)というとてもロマンチックな場面があるのですが、象徴的、というか後の展開を知っているとむしろ薄寒くなるシーンです。
それは無意味な星の分布から「傘」という意味ある形を取り出している訳で、のちの妄想のはしりのようにも受け取れます。

そこでふと思い出したのは、むかし父親の本棚のカメラ誌に載っていた川面の写真を見て、その水の反射が文字のように見えたこと。
もちろんそれは不規則な光の線の集まりでしかなかったのですが、その文字が読めてしまったら、わたしはアッチの世界に旅立ってしまってたかも知れませんねー。

そんなことを思いめぐらしながら、ふとトイレの天井を眺めていたら虫食いのような吸音ボードの穴が目に入りました。
そこには次の戦争が起こる日、震災が起きる場所、恐慌を引き起こす証券のコードが埋め込まれている可能性があります。
ですが、しばらく見つめていましたが、やはり虫食い穴にしか見えませんでした。

その虫食い穴のような模様は、ググったところ「トラバーチン模様」と言うそうでした。