今日はオーディオについてちょっとディープに語りたい気分です。
その前に、音楽評論家の中山康樹さんが亡くなっていたことを知ってショック…。
お亡くなりになったのは去年の頭なので、いまさらなのですが、合掌したい心持です。
中山さんといえば「マイルスを聴け!」ですが、わたしもこの本でマイルス・デイヴィス、ジャズ、ブートレグなどを知り、ディープな世界に憧れたものでした。
手元には10年以上前に買った文庫本の“Version6”があります。
しかしそんな情報も耳に入らないくらい音楽というものから遠ざかっていました。
まぁ聞かなくても死ぬものじゃないし、忙しい日々を送っているとどうも気にならなくなります。
ところがこの間ひさしぶりに渋谷のレコファンに入る機会がありましてー。
10年前と変わらない雰囲気にすごく懐かしさを覚えました。
で、五枚買うと2,000円引きというセールを行っていたもので、釣られて五枚購入してしまいました。
ブラジル音楽のコンピレーションアルバムが中心です。
CDを買うのも五年ぶりくらいですねー。
お店で買うのはもっと久しぶりです。
音楽の聴き方なんですが、ウチではもっぱらパソコンとタブレットで聞いています。
CDをiTunesでMP3に変換して、それをサーバに置いてパソコンやタブレットでストリーミング再生できるようにしています。
たぶん音質的にはあんまり良くはないんでしょうが、どの部屋にいても聴けるので便利です。
最近はこのようにカジュアルな聴き方をしていますが、昔は「ピュアオーディオ」的志向も持っていました。
ただ、まず第一にお金がないことと、「オカルト」とも揶揄される濃すぎる趣味性に辟易して離れていきました。
さらにある「事件」で決定的なものに…。
それは肝心の受け取り手である「耳」が終わっているという事実……。
Youtubeなどに耳の年齢をチェックする動画がいくつもアップされています。
齢をとると高い音が聞こえなくなるので、どこまで高い音が聞き取れるかで耳年齢を測定するものです。
試してみたところ、14000Hzから上がまったく聞こえませんでした…。
これは40代に相当するのだそう。
若いころにヘッドホンで大音量で聴いていたのが良くなかったのかー?
今となっては如何ともしがたく、口惜しい限りですが、とにかく超高音まで奏でるツイーターや、CDを超えるような音域を持ったハイレゾ音源が自分にとって無用の長物であることが分かったのです。
そう思えばかえって楽で、苦行のようなピュアオーディオの研鑽からドロップアウトして、「いかに便利に音楽を聴くか」という方向に軸足を移せたように思います。
ところでこの頃腕時計に興味が出てきまして、そこで別の切り口からオーディオ趣味というのを眺めるようになってきました。
まあ似ているところはあまりなく、全然別の趣味なのですが、普及品と高級品とで天と地との価格差があるところがよく似ています。
腕時計の高級品は機械式であることが多く、普及品はクォーツ式が多いですが、どちらが正確かと言われればクォーツ式のほうです。
つまり時計の本来の機能性と価格とがあべこべになってしまっている!
しかしそれでいて何の問題もないのです。
なぜなら高級品の由縁は、精度、耐久性、デザイン、材質、ブランド、etc…、色々とありますが、端的に言ってステータスシンボルだからです。
(なので私はセイコーのスプリングドライブにはあまり意義を感じていない)
オーディオも実は同じことで、お高い由縁はステータスシンボルだからじゃないかと思っています。
装飾品としての面がある腕時計がステータスシンボルになるのは分かりやすいですが、部屋の中で楽しむオーディオがそうなるのはちょっと理解しずらいかも知れません。
しかし必ずしも見せびらかすものでなくてもステータスシンボルになり得ます。
ようするに自己満足(自己確認)のためのシンボル(アイコン)とお考えください。
時計の精度が高級品と普及品とであべこべなように、オーディオも(特にデジタル系)は音質に大差ないのではないかと想像しています。(特に聴いてもないですがー)
マッキントッシュとかJBLとかの高級ブランドを所有するのは、ロレックスやオメガを持つのと同じ匂いがします。
しかし時計は機械式とクォーツ式とで棲み分けられていますが、オーディオだと高級品も普及品も同じエレクトロニクス製品なのでやはり音質で比較されます。
その音質の差はごく微妙なものでも、値段が何倍も違うと「幻想」とも言える期待値の膨張をもたらします。
その幻想がオカルトの由縁のような気がしています。
たとえ高級オーディオを買っても、「私はこれをステータスシンボルだと思うから所有している」と言い切ってしまえば決して「オカルト」と揶揄されることはないんじゃないでしょうか?