日は落ちたのに室内の温度計を見ると、37度という画期的な数値を指し示しています。
今日は夏祭りがあちこちで行われていて、窓を開けていると祭り囃子が聞こえてきましたがもう止みました。
さて今日、日経新聞の電子版で“「超記憶」を持つ人々”という記事を読んで心底羨ましく思った次第です。
要するに、何十年も前の事を昨日のことのように思い出せる人たちについての記事なのですが、何十年はおろか一週間くらい前のことすらも薄靄がかかったような有り様の身としては、羨ましい限りです。
わたしは、近頃とみに、人にとって真の財産、それは『記憶』ではないかと思うようになりました。
金は盗まれるかも知れないし、仕事は景気が悪くなれば失うかも知れません。
名声を得たとしても、時の移ろいとともに忘れ去られるかも…。
しかし記憶は誰にも奪われはしないーー。
と、そこまで考えてみましたが、いや、記憶も奪われますな。
それも他ならぬ自分自身によって。
個人的なふたつの傍証を。
この間、図書館でちくま日本文学シリーズの開高健を借りたのですが、すごく妙な感じがしたのです。
すごく既読感があるのですが、作品毎にそれがマチマチなのです。
- 「流亡記」確実に読んだ記憶あり。しかし別の本で読んだのかも知れない。
- 「二重壁」記憶なし。しかし、主人公が崎山からカメラを押し付けられるシーンにはすごく既読感を覚える。
- 「声だけの人たち」記憶なし。
- 「笑われた」読んだ覚えあり。
- 「ベトナム戦記よりー”ベン・キャット砦”の苦悩」記憶なしーー、かと思ったが最終段は確かに読んだ記憶がある(それは感動的である)
- 「戦場の博物誌」記憶なし。かと思ったが“ストッパー”については覚えていた。
- 「まずミミズを釣ること」記憶なし。
- 「一匹のサケ」これも記憶なしかと思ったが、「トトチャブ」のくだりでやはり読んだことがあることに気が付く。
- 「河は呼んでいる」記憶なし。
全体的に見ると、やはり以前この本を手に取ったことは確実だと思うのですが、どうしてこうも乱杭歯のように記憶がマチマチなのかと疑いたくなります。
ブログを見返すと、08年に開高について書いているので、もしかかしたらその辺りで読んだのかも知れませんが、6年も前だから忘れて当然と受け止めるべきか、読みの浅さを反省すべきか迷うところです。
次。
今日デジカメのデータ整理をしていたのですが、何かおかしい。
そうGWに行った千葉の写真が一枚もない!
パソコン中を徹底的に検索したけれども見つからない!
そんなハズないと思うのだけれど、やっぱりパソコンにデータを移す前に消したとしか考えられませんでした。
一体なぜそんな真似をしたのか、当時の記憶が無く、杳として分かりません。
ちょっと大袈裟ですが、何か無意識の隙間からハイド氏が顔を覗かせたかのような、自分の正気を疑ってしまうような出来事に感じショックでした。
それで今日はデータ救出に貴重な時間を費やしてしまいましたよ。
話はやや横道に逸れますが、まずGoogleで検索して最初に出てきたデジカメのデータ救出ソフトを使ってみました。
とりあえず、無料の体験版でやってみたのですが、デジカメのメモリをスキャンすると、おぉ! 出るではないですか?!失ったはずの画像データが。
そこでパソコンに保存しようとすると、「ここから先は有料版のみの可能です」とのメッセージが。
何か、カリントウだと思って口にしたらイヌの雲古だったかのような、非常に冒涜的なものを感じ、そのソフトは打ち捨てました。
それで、徹頭徹尾無料のものをダウンロードして使ってみたのですが、それだと部分的に復元できることにはできるのですが、不十分で、さっきまでカリントウで見えていた全てのデータが救出できない。
で別の、救出するデータが1GBまでは無料ヨ!という、非常にケチ臭いソフトを使ってみたらどうにか全て救出できました。
データもギリギリ1GBに収まり、どんなもんだと胸を張りたいような、奇妙な充実感を覚えました。
(この記事をまかり間違って開発者の方がご覧にならないことを願います)
しかし、全てとは言っても本当に全てではなく、最初に撮った方の写真、つまり小湊鉄道に乗って養老渓谷で降りるところまでのは無くなっていました。
たぶん消した後に撮った写真に上書きされてしまったのだと思います。
それでも、養老渓谷の自然や翌日の外房の海岸の風景などは完全に復元されたので、浅い傷で済んだかなと思います。
GW後に出かける予定がほとんど無かったのが幸いしたよう。
幸か不幸か分かりませんが。
<付録>房総旅行記
つげ義春が泊まったという「川の家」
直前に読んだ「貧困旅行記」に影響されて、旅先に房総を選んだ
弘文洞跡
かつてはトンネルだったが、昭和54年の5月24日未明に崩落したそうだ
泊まった、いすみスカイホテル 潮騒館
館というより小屋のようだった
中は新しく、快適だった
大原港に向かって海岸を歩く
ゴミひとつ落ちていない綺麗な海岸で感激した
波間にはサーファーの姿があちこちに見えた