「一月は行く、二月は逃げる」と言いますが、年が明けたと思ったのもつかの間、早ふた月が過ぎようとしています。
この期間かなり忙しく、私事にあまり時間が割けませんでした。
この頃やっとひと山越え、一息つけたという感じです。
何がツライかというと、充分な睡眠時間が取れないということ。
平均6時間くらいかな?
「充分じゃん?!」
と、ワカホリ族からツッコミが来そうですが、「足らんわ…、まるで」と言わせて貰いたい。
8時間は寝ないと、スッキリしません。
9時間、10時間、なお辞さずです。
なんか、野比ノビタのようですが、睡眠こそ最高のレジャーではないかという気がします。
だって考えてもみてくださいよ!
お金持ちと貧乏人じゃ、着るもの食べるものに一桁二桁の差があるのはザラかも知れませんが、睡眠時間にゃ大差ないはずです。
前回プア充について云々しましたが、睡眠の充実こそ近道かも知れません。
何と言っても、寝ている間はお金を使いませんからね。
寝るのの何が楽しいかというと、ひとつは「二度寝」
これはラーメンで言うなら、替え玉ですよ。
過剰な満足感とともに、「やっちまったナァ~」という罪悪感をスパイスとして味わえます。
それから、起き際の浅い眠りをウロウロとするのも楽しい。
特に遅刻と天秤をかけながらの眠りはスリルがあります。
しかし何と言っても、睡眠の最大のスペクタクルは「夢」
これに尽きるでしょう。
凄く良い夢をみると、実際に経験したことのように心に残る想い出になりますね。私の場合は。
最近では、古い温泉旅館に泊まる夢を見て、それがまるでつげ義春の漫画のような感じだったのが印象に残ってます。
とは言え、良い夢を見るというのは簡単なことではない。
私の経験からすると、長く寝たからといって必ずしも見られる訳じゃないし、体調も関係なさそうです。
望む夢が見られる技術が開発されたら、それは人類史に残る画期的な出来事になるかと思いますが、それまでは夢は幸運な贈り物でありつづけるでしょう。
さて、自分の見る夢について近頃ある発見がありました。
暇人警報が耳をつんざきそうですが、気にせず続けます。
それは夢に出てくる人物について。
この半年くらいを振り返って、亡くなった肉親の夢をよく見るので不思議に思っていたのです。
亡くなったのはだいぶ前なので、尚更でした。
逆に生きている肉親の夢はほとんど見た記憶がありません。
親しい友人も同様。
よく見るのは、高校時代の友人、前の会社の同僚などです。
「あの人いまどうしてるのかな?」
という無意識の疑問がそんな夢を見させてるのだという気がします。
夢でその人達と語らいたいという欲求を満たしているということでしょうか…?
普段はそんなこと毫も考えないので、自分自身意外な気がします。
夢の贈り物が果たせぬ再会だということに。