「アラサー」だの「草食男子」だの新奇な造語を耳にする度に肩をすくめていた私ですが、最近耳にした「プア充」という言葉にはちょっと、おや!と思わされました。
意味するところは、貧乏だが人生が充実している人物のことだそう。
言い換えれば、「なるべくお金を使わずに充実した生活を送ることをモットーとする人」となりませんか? なりますよね?
う~ん、これはまさに私が信条としていること、そのものではないか。
デフレの世に生を受け、貧乏学生のノリそのままで社会人となり、いま現在も薄給を食む身としては、金を使うことが何よりも辛い…。
一銭も使わない日があれば、「今日はいい日だったなぁ」としみじみと思います。
逆に支出がかさんだりすると、あたかも体中の血液が流れ出したかのように本当に気分が悪くなってきます。
「プア充」断然支持したいと思います。
そこで、思うところを短く、駄文にしたためておきたいと思います。
私が考える「プア充」とは?
それは逆説的に、プア充の足下に置かれたふたつの罠を考えると明確になってくると思います。
その1、誰にも実行できない無意味なモットーとなりはしないかということ。
昔「清貧」という言葉が流行ったころ、水木しげるが清貧にかぶれた人を皮肉った漫画を描いたりました。
要するに単なるやせ我慢であると看破したのですね。
思想が先行すると得てしてこんなことになります。
絵に描いた餅ではいけない。
実用的な手段を伴わなければいけないと思ってます。
その2。
「コストパフォーマンス」偏重になってもらいたくない。
なるべくお金を使わないのがモットーなので、コスパ重視になるのは無理からぬことなのですが、一円一銭にこだわり、そればかりを追求すると、手段が目的のようになってしまい、歪んだ「プア充」ライフとなってしまうのではないかと思います。
というかそれじゃ単なる「プア」です。
逆に最も安いわけではないが、あえてこだわりを持って選ぶとき、そこに「その人らしさ」みたいなものが浮かび上がってくるように思います。
私の考える「プア充」とは、節約術を駆使して消費生活をうまく送りながら、決してケチケチ一辺倒ではなく適度な「遊び」を持つ人物ではないかと思うのです。