浅草橋で2月14日から3月14日までの会期で開催されている「ベルメールと日本の球体関節人形」に行ってきました。
昨日、ほんとうに何気なく陽月(という人形作家)のウェブサイトを覗いたら告知されていて、慌ててスケジュールに入れたのです。
わたしはかなり以前から吉田良(という人形作家)のファンで、陽月は将来を嘱望されている彼のお弟子さんです。それでたまにその活動をチェックしているのでした。写真集を出して欲しいと切望しているのですが、今のところその予定はなさそうですね……。
今回の展示は「夜想」というサブカルチャー系の雑誌が主体となっているようです。
タイトルにもあるハンス・ベルメールとは、シュールレアリズムの作家で、気持ちの悪い球体関節人形を作成し、それを写真に収めて発表した偉い人ですが、それが日本にも伝わると四谷シモンや吉田良に影響を与え、日本の人形史に独特の屈折を与えたのです。
その動きを俯瞰する、とパンフレットに書いてあったか、いまわたしが思いついたのか判りませんが、そういう展覧会です。
しかし、それではあまりにマニアック過ぎると思ったのか、客寄せパンダが欲しいと思ったのか、「ローゼンメイデン」で有名なPEACH‐PIT(漫画家)に特別参加を依頼。
それから商売気も出したのか、ボークスのスーパードルフィーまで陳列するに及んだのでした。
結果としてバラエティー豊か、かつ、焦点のぼやけた展示となりました。
さて、浅草橋はこれで二回目です。
この前は08年に須田一政塾の卒業発表を見に行ったのでした。
「えぇ〜、そんなに前だったっけ!?」と発狂しそうですが、そうなのです。小規模なギャラリーが集まっている土地柄なんですね。
今回の会場は「パラボリカ・ビス」という、浅草橋東口から徒歩六分ほどの場所にあります。
ところがぎっちょん、今日は東京マラソンで江戸通りが封鎖されていたのでした。むこうに渡りたくても渡れない。交通規制が解除されるまで三〇分ほど待たされました。
地図を頼りに進むと、一見してそれとわかる妖しい建物が見えてきました。ショーウィンドウに狼の剥製に跨った等身大の人形が展示されています。間違いありません。
あまりに嫌な匂いを感じとりつつ、二階受け付けへとのぼって行きました。
二階は「夜想大骨董市」という、脳みそにヒルを植え付けた猿の盗品のみで構成したようなガラクタ市の会場になっていて、マネキンの胴やウシの頭蓋骨、アルマジロの剥製、トリの剥製、アフリカの彫物、アフリカのお面、よく分からない薬の瓶、よく分からない臓器片のホルマリン漬け、等々なんの役にも立たない妖しい品がドンキホーテ並に圧縮陳列されていました。
その奥にレジがあり、チケットはそこで購入するのでした。入場料五百円なり。
同じフロアに球体関節人形の元祖、ベルメールの人形――は残念ながら無く、ドローイングが数点展示されていました。マルキ・ド・サドの小説を題材にしたシリーズで、強烈に露骨な性表現です。なかでも接合の解剖学的な(断面)図には驚きました。この表現、日本発だと思っていたので。
そしてどういうわけかベルメの何番目かの女房のウニカ・チュルンのドローイングがそれ以上の点数展示されていました。
しかしお目当ては吉田良&ドールスペース・ピグマリオンの高弟たちの作品です。
陽月先生の作品は二階の別の部屋にありました。う〜ん素晴らしい。脳がとろけそうです。わたしは熱い風呂に浸かった時と同様のうめき声を上げました。そのまま担いで逃げたかったですが、僅かに理性が勝利し思い止まりました。
その他、四谷シモンは呼べなかったけれど、その代わりにですがという感じでエコール・ド・シモンのお弟子さんの作品なんかもありましたね。
吉田先生の作品は一階のガレージのような場所に展示されていました。なにか極めてヤバい作品が隔離されて置かれているような印象が……。
ベルメールへのオマージュと題した連作は、人形の首と腰を短絡させたり、少女の腹部を妊婦のように膨らましたり、椅子と同化させたり、といった奇形的な表現です。
お弟子さんも師匠に負けず大張り切りで、辻斬りされたのに気付かず笑っているようなものや、無数の孔が穿たれた人形、葉脈のように肋骨だけが取り残された胸部、イチジクのような腫瘍が皮膚の上で脈打っている表現など、芸術と捉えて良いのか悪趣味とすべきか判断に困るようなものばかりでした。
個人的には見世物小屋的な痛々しいものは好きにはなれませんね。
以前に東京都現代美術館で行われた球体関節人形展は芸術としての品位を保っているように思えましたが、今回のは夜想のオカルト志向にだいぶ引っ張られてしまってるんじゃないかと怪しんでしまいました。
(そう考えたところで、東京都現代美術館のが2004年であったことを思い出しうろたえました。あれから七年も経っていたとは…。時間の流れが早すぎてヤバいです)
それなりに展示を楽しんだ後、浅草まで足を伸ばしました。
隅田川沿いを歩くきます。今日は暖かかったですね。20度超えていたんじゃないかな?
噂のスカイツリー、はじめて間近で見ましたよ。
月別アーカイブ: 2011年2月
モツ煮込み2
能見堂赤井温泉
中伊豆に行ってから、ちょっとした温泉ブームです。
スパミシュランというサイトで、横浜の温泉を探してみると、金沢区のものがひとつだけ紹介されていました。
しかも結構近い。それが、「能見堂赤井温泉」です。
今日、行ってきました。
場所は釜利谷東で駅から徒歩10分くらいのところにあります。
料金は時間帯によって変わるらしく、午前に行ったので六百円取られました。午後三時半以降は四百五十円になるそうです。
脱衣所からのぞいた浴室は銭湯そのもので、どこが温泉?と思ったのですが、湯船をのぞいてびっくり!
く、黒い! 湯がヨウカンのように黒いのです。
「黒湯」というらしいですね。直に手にとってみると、紅茶のような、深い枯葉色をしていました。
匂いは特にしませんでした。強いて言うなら、かすかに銅銭のような鉱物臭がするような気がします。
浴槽にはバラエティーがあって、水圧で背中を刺激するジェット風呂や、泡がボコボコ出るジャグジー風呂、それから入らなかったですが水風呂もありました。いずれも黒湯が張られています。
かなり満足できる湯でした。ちと高い気はしましたが、午後からならばCP高いでしょう。
入浴後はビン入り牛乳で締めます。
いまは牛乳も自販で売ってるんですね。普通のと、フルーツ牛乳、コーヒー牛乳が置いてありましたが、普通ので。
う〜ん、美味い!が、丹那特濃乳には及ばないなぁ。
丹那特濃牛乳、もう一度飲みたい。
RE:中伊豆旅行
修善寺温泉入口でバスを降ります。すでに四時を回っていたので、日の暮れないうちにと慌てて名所を巡りました。
まずは「修善寺」なんと手洗いにお湯が出る! さすがは由緒ある温泉街です。境内はそれほど広くはないですが手入れが行き届いていて綺麗でした。それからダルマ石がかわいかった。
それから日枝神社、指月殿、源頼家の墓、十三士の墓、ハリストス正教会などを順ぐりに見て回りました。正直に言ってあまり感心はさせられなかったです。なんというかかなりの小粒感でした。
旅の締めに、修善寺唯一の共同浴場、筥湯に入りました。有名な修善寺が、長岡でさえ三つもあったのに、共同浴場がたったの一つというのはなんだか寂しいものがあります。しかし、筥湯はすごく立派だったです。浴槽は総檜造り。浴室の下はタイル貼りですが、壁もまた檜でした。
雪道を歩きまわって冷え切った体を湯船に沈めます。これがまさに至福のひと時です。檜の爽やかな香りが心地良い。手のひらで湯船の縁を撫で、腿のしたで柔らかな木の感触を楽しみました。今日一日の苦労が報われたような気分でした。と同時に、横浜に帰りつくころには、元のようにすっかり冷え切ってしまうであろうということを嘆かわしく思ったのでした。
RE:中伊豆旅行
一応の目的は達したので、温泉街に引き返そうかと思いましたが、時間もまだ正午まえなのでもうしばらく踊子歩道を先に進むことにしました。
踊子歩道は二階滝、平滑の滝、宗太郎杉林道を経て河津七滝に至るハイキング道です。しかし後から考えるとこれは冒険でした。足元の悪い雪道を歩くのは普段以上に体力を使うものです。
つづら折りの坂を下り、下田街道を横切ったあたりで地面の積雪はだいぶ少なくなり、代わりにぬかるみの道となります。梢からは溶けた雪がまるでミゾレ混じりの雨のように絶えず降り注ぎ不愉快極まりなかったです。こんな悪路は、やはり人気がないのか、誰ともすれ違わず、ただやたらと意固地な気持ちになって、わたしはひた歩きました。ただ途中の清らかな沢の流れと、清潔そうな山葵畑が足をその場に引き留めました。
宗太郎杉林道の辺りまで来ると、やっと道もまともになってきます。杉並木を抜けたると、左の山の手に打ち捨てられたかのような集落があったのが不気味でした。めちゃめちゃに壊れた車が道の脇に放置されていたのも、何かいわくがあるように感じられました。
猿田淵に寄り道したあと、やっと河津七滝の第一の滝、釜滝に到着しました。ここまで誰ひとりとして観光客の姿を見なかったのですが、ここに来てやっと発見。なんだかほっとしました。しかしどういうわけかカップルが多い。その理由は三つ下って第四の滝、初景滝に着いて判りました。それは踊り子と学生のブロンズ像、そして顔を嵌める記念撮影パネルの存在です。そのあいだをカップルたちが入れ替わり立ち替わりしていました。
しかし、踊り子と学生は結ばれたんだっんでしたっけ。いや、たしか悲しい別れをしたはずです。彼らはそこのところ、どう考えているのでしょうか?
最後の、そして最も大きな滝が「大滝」です。滝壺の付近まで降りるには天城荘の脇を通っていきます。途中には「天国めぐり」の看板が。してみると、ここは天城荘の敷地なのかしらとふと考えます。下の流れには「河原の湯」が見下ろせました。さすがにこの時期、誰も入ってはいませんでした。しかし、ふだんでも上から丸見えではないかと思えてしょうがないです。水着でも着て入るんでしょうかね?
踊子歩道とは大滝でお別れです。大滝入口バス停からちょうどよく修善寺に戻る便に乗り込みました。天城峠で降りてから四時間あまりが経過していました。歩き詰めで心底くたびれていました。
RE:中伊豆旅行
翌朝七時に目が覚めました。窓から明るい陽射しが差し込み、カーテンを開くと眼前に美しく白化粧をした富士が見えます。右手には箱根の山の峰々が青空の底にぼんやりと広がっていました。素晴らしい一日を予感させるような朝でした。
マックスバリューで買ったサンドウィッチを胃につめ込み、八時半にはもうチェックアウトしていました。清冽な空気を胸いっぱいに吸い込むと、街は昨日とはまるで違って見えます。狩野川の土手に立ち、金色に輝くすすきの茂みと、快晴の空を映した青い流れを眺めました。わたしはもと来た青い鉄橋を渡り、温泉街を後にしました。
修善寺には伊豆長岡から鉄道で二〇分弱ほどです。駅についてすぐ、天城峠経由、河津行きの東海バスに乗り込みます。目的地は伊豆の踊り子にも出てくる(そうですが、全然覚えてません)旧天城トンネルです。
バスは駅を出るとすぐに赤い鉄橋の湯川橋を渡り、下田街道に入ります。修善寺温泉入口を通って、田舎道を進みます。しばらく行って月ヶ瀬のあたりから険しい山中に差し掛かり、同時に積雪が眼に入るようになります。それから湯ケ島、浄蓮の滝駅を経て天城峠に到着しました。修善寺駅から四十五分ほどの所要時間でした。料金は千五十円になりました。
ここまでくるともう一面の銀世界で、地上との隔たりを覚えます。バスを降りて目前に見えるのは「新」天城トンネル。旧天城トンネルは、ここからしばらく歩かなくてはいけません。もと来た道を少し戻るのです。すぐにひとつ前の「水生地下」で降りたほうが近かったことに気付かせられました。そう言えば山歩きの格好をした人たちが何人か降りていたのでした。一緒に降りていればよかった。
とは言え、旧天城トンネルまでの山道の入口はすぐに見つかりました。道は、おそらく昨日降り積もったのであろう、ふわふわとした新雪に覆われていて、それが陽光に眩しく輝き本当に美しかったです。来て良かったと心から思いました。時おり梢から前置きなしにドサっと降りかかってくるのには閉口させられましたが、風に舞い散る姿もまた美しかった。雪はくるぶし辺りまで積もっていたので、踏み固められた轍の上を歩きました。たまに氷面のようになっていて足を取られて転んでしまうこともありましたが、雪は柔らかいので痛くないのです。
三十分ほど歩くと、目的地の旧天城トンネルに到着しました。切石で組まれたアーチ状の小さいトンネルです。だいたい車一台が通れるくらいの横幅でしょうか。
中に入るとところどころにツララがぶら下がっているのが見えます。ガス灯を模した照明が備え付けてあるので、歩くには苦労しない程度の明るさがありました。四百mほど歩くと河津側の口に出られます。
RE:中伊豆旅行
ホテルに戻った頃には丁度いい時間になっていました。フロント(というか、サイドテーブルに電話機が乗っているだけ)から呼びかけると、おばさんと小学校低学年くらいの男の子が階段から降りてきました。キーを受け取り階段を登ると、各階のフロアはあまりに静かでした。察するに家族だけで切り盛りしているようです。
部屋はワンルームマンションのような作りで、案外と綺麗でした。トイレ、風呂は共同です。ベッドはマットレスが敷いてあるだけで、その上に掛け布団が畳まれていました。エアコンも付いていて、試しに入れてみると動きます。はて?それでは冷暖房別料金とはどういう事だろうと首を捻ってしまいましたが、面倒くさいことになるのは嫌なので止めました。最初から頼むつもりはなかったのです。
テレビを観ながら少し休んだあと、ふたたび温泉に出掛けました。今度は「長岡南大衆浴場」という共同浴場です。先のあやめ湯の丁字路を左手に曲がり、一キロ弱ほど進むと長岡の交差点があります。そこを最明寺を右手にして折れるとすぐに順天堂大静岡病院が見えてきます。セブンイレブンとミナグチ書店のある角を入って少しのところに長岡南大衆浴場が見つかりました。
銭湯丸だしという感じだったあやめ湯に比べてここはキレイでした。風呂は「熱い」と「超熱い」の二種類。来たときにはちょうど客は私ひとりだったので、ゆったりした気持ちで湯船に浸かれました。じゅうぶんに温まり、三十分程で出ました。
向かいのセブンイレブンで湯上りのビールを購入します。店内でよく分からない言葉を話す人たちの集団と遭遇しました。たぶん中国人でしょう。
ビールを飲みながら最後の共同浴場、「湯らっくすのゆ」を探して歩きます。道沿いには南山荘、いづみ荘、三渓園等の大旅館が並び、あぁこれこそ温泉街だなあという感じがしみじみとします。それらの表に掲げている値段を見てみると、一泊四千円台からと意外とリーズナブルであることが判りました。
なんとも嫌な思いが心中を駆けまわります。
「失敗した」「変にケチってつまらない宿を取ってしまった」「本格的な温泉旅館にでも安く泊まれたんじゃないか」「たぶん内風呂だって共同浴場とは比べものにならない筈だ」「露天風呂だってあったろうに」
湯らっくすのゆを探して国道414号沿いに歩いていたのですが、いつの間にか資材置き場のような変な場所に辿り着いてしまいました。明らかに道を間違えたのです。日もすでにとっくりと暮れ、熱も酔もすっかり冷めて、ものすごく心細くなってきました。けっきょく諦めてもと来た道を引き返すことにしました。それは失意に満ちた帰路でした。
RE:中伊豆旅行
正午半ごろ、伊豆長岡に到着。さっそく困ったことにPASMOが使えないことが判明しました。乗り換えなしで接続してるのにそれはないんじゃないの?と心のなかでつぶやきつつも、三島からの運賃だけ払って駅を出ます。JRの分は翌日管区内で精算です。
三〇〇mほど歩くと、狩野川にかかる青い鉄橋が見えてきます。橋を渡ると、「伊豆長岡温泉」の大看板が目に入ってきます。まずは本日の宿、「ホテルLOCANDAいづい」の場所をチェック。ここの魅力は何と言っても安さ。一泊三千円です。もちろん素泊まり。しかも冷暖房を使うと別途五百円取られるというコスト意識の高さです。
県道131号線から一ブロック入った、マックスバリューとハックドラッグのある通りにホテルはありました。なんだか事務所のような建物です。この周囲も観光地というよりは住宅街といった雰囲気でした。ただ、マックスバリューを見たときには顔に思わず喜色を浮かべてしまったことを正直に告白します。「これで食事には困らない」そう思ったのです。
チェックインは三時からなのでまだ間がありました。そこで伊豆長岡に三ヶ所ある共同温泉のうち、一番近くにある「あやめ湯」に入ることにしました。場所は県道131号が129号と合流する古奈の丁字路のそばです。
三百円のチケットを券売機で買い、受付のお爺ちゃんに渡します。午後の営業開始直後でしたが、すでに先客がいました。浴槽は檜の縁取りの内湯がひとつ。浴室はタイル貼りで安銭湯の趣です。シャワーを浴びてから湯船へ。ちょっと熱めに湯に胸まで沈めると、冷えた体が温められ思わず「あぁ〜」とため息を吐きたくなります。泉質はアルカリ性単純泉。効能は神経痛、筋肉痛とあります。とくに匂いも色もなく、普通のお湯という感じです。
しばらくするとぼつぼつと湯客が入ってきて混んできました。どの顔も五十年配以降のおっちゃん、おじいさんたちです。
ただ単に湯に浸かるというのは退屈で、知らないものどうしが無言で同じ湯に入っているというのも息が詰まりそうです。なにか話しかけたほうが良いのかと悩みましたが止めました。そうして三十分ほど温まってから、あやめ湯を後にしました。
湯上りの定番、牛乳を一杯やりたかったのですが、ここは商売気がないのかそういう物を置いてませんでした。それでマックスバリューまで戻り壜入りの「丹那特濃乳」を購入しました。何の気なしに飲んでみたのですが、これがすごく美味い! ものすごく濃厚でキャラメルのような甘い風味があるのです。
困ったことにまだチェックインの時間までかなり時間が余っていました。仕方がないので小雨が降り続く温泉街をぶらぶらしました。天気のせいもあるでしょうが、街にはまったく生気がないように見えました。「寂れてる」と言うべきか。
こういったところに付き物の、パブ、スナックの類もやってるのかどうか分からないような感じで、なんとなく薄汚れ、場末の雰囲気を醸し出していました。
後でわかったのですが、伊豆長岡の温泉街は源氏山という小山を取り巻くように発展していて、大旅館の多くは向こう側にあるのです。知らずに「なんだかケチなところだなぁ」などとつぶやいていました。
足が自然と狩野川の河川敷に向いていました。河は曇天を映して鉛のような暗い流れです。川岸を覆う枯れたススキの茂みは鈍い金色。人っ子ひとり見えません。
下流に向かって進むと中洲がありそこで河は二又に分かれていきます。左手の流れは駿河湾にショートカットする放水路で、奥にはポッカリと大きなトンネルが三つ並んでいます。何ともいえない不思議な光景だったので、好奇心に駆られて水路の底まで降りていきました。川底はところどころに水溜りがあるものの、水流はありません。でも立っているところの遥か上に水量計の目盛りが引かれているのを見て身震いがしました。
中伊豆旅行
建国記念日の翌土曜と、日曜日、中伊豆に旅行に出かけてきました。せっかくの連休を無為に過ごすのはもったいないと思ったことと、さいきん太宰治の「津軽」や、つげ義春の漫画を読んだりして、旅への憧憬がふつふつと湧いてきていたからです。
伊豆を選んだのは、安・近・短であること、温泉があること、それから山梨や北関東方面はやたらに寒そうなので除外した結果です。
この時期の伊豆のイベントを調べてみると、伊東で「大室山の山焼き」という豪快な催しがあるので、当初はそれをターゲットにしていたのですが、折からの大雪の影響で一週間の順延となってしまいました。予定通りなら、本日行われるはずです。
それで急きょ旅を『「伊豆の踊り子」の道を辿る』に変更しました。正直に言うと特に「伊豆の踊り子」のファンでも何でもないのですが、「伊豆」と言われて他のアイディアが思い浮かばなかったのです。
いずれにしても目的地は決まりました。旅のスタートは大船からの踊り子109号です。
特急券は車内で購入。自由席でしたがかなりガラガラでした。車体はかなり古い感じで、窓も最近ではあまり見なくなった、下からスライドさせて開くタイプです。でも乗り心地は快適でした。この列車は三島でそのまま伊豆箱根鉄道に切り替わるので、初日の目的地の伊豆長岡までのんびりしていられます。所要時間はおよそ一時間半です。
この日、天候があまり優れず小雨がチラつく空模様だったのですが、それでも旅の車窓から景色を眺めるのは楽しいものです。とくに小田原、真鶴、熱海にかけての、傾斜地にへばりつくような街並みは特別な情緒を湛えているようでした。
途中、キャバ嬢とおぼしき頭を盛大に盛った四人組が一緒に乗り込んできました。こんな派手な子たちの行く先も温泉だったりするのだろうかとぼんやり考えたりしました。