紀伊国屋で面白そうな本を見つけたので、買ってきました。
「日本写真集史 1956‐1986(金子隆一、アイヴァン・ヴァルタニアン/赤々舎)」です。B4判のかなり大きい本です。
著名な写真研究家である金子隆一のコレクションのなかから、時代を代表する作品をセレクトして載せています。
土門拳であるとか、荒木経惟、篠山紀信といったビッグネームのもそうなのですが、なかにはそれほど有名ではない作家の私家版なども掲載されておりユニークです。
また非常に独特なのが、写真集をそのものを見開きで撮影し、レイアウトしている点でしょう。
写真集の「モノ」としての側面を強調しているようで、所有欲がそそられます。
つまり「写真史」ではなく、あくまで「写真集史」であるということのようです。
この本に、今まで知らなかった素晴らしい作家の存在を教えられました。
何名かの作品を引用させて頂こうかと思います。
まずは杉野安の「心触風景」(1970)
杉野安はアマチュア写真家で、今も昔もまったく無名の人物のようです。
そしてこの写真集も自費出版で出されたものです。
被写体となっているのは、軒に干されたツナギだとか、モップが這った跡の床だとか、ごくありふれた詰まらないものです。人物はひとりも登場しません。
しかしながら、その黒はとても深くて美しい。フォルムではなくトーンが見る者の胸を打つのです。
まるで、日没の風景のように心に触れてきます。
次は、石内都の「APARTMENT」(1978)
う〜ん、なんというアイディアでしょう。小汚いアパートで一冊本を出す。
ひび割れ、シミ付き、塗装が剥げかかった壁は、有機体のような生々しさを醸し出しています。
共有炊事場とか、薄暗い廊下、そしてその突き当たりに置かれた赤電話などが強烈なノスタルジーを発し、「めぞん一刻」な世界を醸し出しています。
しかし、いかなこの当時でもさすがにこれは「ありえない」風景だったでしょう。
そんな最後の鈍色の光を焼き付けた作品です。
森永純 「河‐累影」(1978)
水、というより粘り気を帯びたタールのような東京の河を撮った作品です。
ある水面には折れた傘が浮き、あるものにはニワトリの足が突き出しています。
泡とも藻とも判別し難い無数の白い点が川面を覆って、滑やかな爬虫類の表皮のように見える写真もあります。
当時の環境汚染のレベルがここまで酷かった———、のではなく、意図的にゴミを沈めて演出をしていたそうです。それが、見る者の想像を掻き立てるような混沌とした画面を作り出しています。
わたしには水面を通して、危険ではあるが生命力に満ちた都市の生活を暗示しているように思えました。
深瀬昌久 「鴉」(1986)
タイトル通り、カラスを撮った作品です。
これは凄い。見ていて震えました。いくつもの決定的瞬間が納められています。
作家は風をカメラに収めています。
一瞬前にカラスが切り裂いていった風、女生徒の髪を激しくなぶっていった風、そして解体現場の爆風を。
しかし、「鴉」というタイトルには単に被写体を指したという以上の含みを覚えます。
カラスを撮る行為自体が正常な精神状態を逸脱した感じをもたらし、見るものに漠然とした不安を与えるのです。
作家の暗い将来を暗示しているようにさえ思えます。
1992年に階段から落ちて脳挫傷を負い、以後活動はなさっていないそうです。