近頃仕事で大いに反省させられることがありました。
お客さんに頼まれてデータを取っていたのですが、「やり方が悪い」と注意を受けたのです。もっと要領よく、少ない手数でやれるはずだと。
確かにその仕事はまだ不慣れで、いまいち要領が掴めないでいたのです。そこで組み合わせの数だけ網羅的にやるやり方を取ってしまいました。
しかし、「もっと上手いやり方はないだろうか?」と少しでも考えてさえいれば、そんな贅肉だらけの方法を取るはずもありませんでした。それで思慮の浅さを大いに恥じた訳です。
そのお客さんは人使いが荒く、わたしは内心不満を抱えているのですが、技術者としては本物です。
彼の指示に従っていると、最初は「そんなに短い時間でできるはずがない」と思ってしまうような仕事でも、ちゃんと予定通りにできてしまうのです。
物理の博士号を持っているような人が、半年かけても完成できずに投げてしまったようなプログラムを一ヶ月あまりで組んでしまったこともあります。
まるで魔法の様だと感じます。その指導力は認めざるを得ません。
その秘密は何なのだろうかと考えてきました。
彼は実際の作業に着手する前に、綿密な設計書や計画表を出させます。そういう計画的な仕事の仕方が良いのだろうと思っていました。
でも、今考えると、本当に大切なのは、「どうしたらもっと効率的に作業が行えるのだろう?」と常に考える姿勢ではなかったかと思います。
先月「北村薫の創作表現講義」の感想を書いたときに、釈由美子のエピソードを引用しました。まさにぴったり当て嵌まります。
「《どういう風にやったら》というのを、《自分で》考える。それが勉強」
「《どういう風にやったら》というのを、《自分で》考える。それが仕事」
ガツンと衝撃を受けましたね。
自分は真に仕事ということに値する仕事をしてきたのだろうかと考えさせられました。