北村薫の「秋の花」の中に、主人公たちが「野菊の墓」談義に花を咲かせる場面があります。
そこで興味をそそられて手に取りました。
短い話なので、すぐに読めました。
とても悲しいお話でした。
民子が哀れということもあるのですが、政夫の母の後悔の涙に咽ぶ姿にも心を動かされずにはいられません。
電車の中で読んでいたのですが、思わず涙ぐんでしまったほどです。
しかし、これほどまでに感動的な話を正ちゃんは「自己中心的な作品」と切り捨てます。
かっ…かっこいいッ!
確かにそういう目で見れば、妙に悟ったような文章に違和感を感じなくもありません。
民さんほど彼女を想ってなかったんじゃないかとすら思えます。
月日の経過が物事を客観的に見せてくれるようになったのかも知れませんが。
そんな嫌らしさが端的に表れたのが、正ちゃん御立腹の結びの一文だと思います。
月別アーカイブ: 2008年11月
日めくりカレンダー
上野ぶらぶら
今日は御徒町〜上野〜浅草方面をぶらぶら歩きました。
最初は御徒町。アメ横で食料品を買います。
センタービル地下の食料品街は実にエスニック。上海か東南アジアの市場のようです。
飛び交う声も半分は理解できません。品名の漢字が読めない……。
言葉が通じるか半ば心配になりながら月餅を指差すと、さっきまで中国語を話していたおばさんが日本語で対応してくれました。五個で九百円也。
上野公園では色付いた銀杏がとってもきれいでした。抜けるような青空に映えていました。
それから合羽橋へ。ところが、お金が足りないことに気が付きATMを探していたら浅草まで行ってしまいました。メガバンのならいたるところにあるのに……。
そこでなんと部下を発見! 声を掛けようかと思いましたが、友だちと一緒のようだったので止でおきました。上京したてなので、東京見学ですかね。
お金をおろしてUターン。
かっぱ橋商店街はお気に入りの場所で、見ているだけでウキウキします。
今日の目的はキャンドルシェード(傘つきろうそく皿)です。アロマキャンドルを実践してみようかと思いまして。
「創亭やぶきた」で白コップ型のシェードを見つけ、気に入ったので購入しました。千二百円也。
ここは陶器製の照明や、蹲(つくばい)なんかが置いてある店で、小物類のセンスが良いなぁと思います。
道具街を歩いていると、「フレーバーランド」という今まで見たことのない店を見つけました。
製菓用のお酒や香料を扱っている店でした。珍しいリキュールがたくさん置いてあって、興味深かったです。ただアロマキャンドルまでは置いてありませんでしたが。
高尾山
今日は突然思い立って、紅葉を観に、高尾山に登ってきました。
ものすごく混んでいました。連休に重なったせいでしょうか?
しかも若い女性のグループが目に付きました。ミシュラン三ツ星効果?
麓からケーブルカーが出ているのですが、なんと一時間待ちとアナウンスされていました。歩いた方が早いです。
登山道は八本あるそうですが、登りに使った一番路は山頂まで舗装されていました。特に登山靴でなくても、スニーカーでOKですね。
しかし、序盤が結構急勾配できついです。やっとこさケーブルカーの駅に着いたときには「これでまだ半分か…」とため息が出たものです。
ただ半分を過ぎると道は緩やかになります。これで救われた気分。
途中、道は勾配のきつい「男坂」と、軽い「女坂」に分かれますが、迷わず女坂を選びました。
高尾山薬王院の境内を通って、山頂に到ります。ここからが特に混んでいて、牛のような歩みで登頂しました。
二時間弱くらいでした。
晴天に恵まれたお陰で、山頂からは八王子の町と、その向こうの都心のビル群を一望することができました。振り向けば富士の白い峰です。
ここでも非常に人が多く、腰を下ろす場所が無かったので、征服の余韻もそこそこに下山の途につきました。
下りは沢に沿って歩く六番路を選びました。
登りとはうって変わって険しい道でした。狭いうえ、道が濡れていてすべり易かったです。
しかし人は少なかったので、自然を楽しむのにはうってつけでした。
所々で大きな樹が沢に向かって倒れ込んでおり、朽ちて背はシダで覆われています。その様は原始の森のようです。
登山道の出口に近づくと梢の間から白い建物が覗きます。こんな山奥に?とびっくりしましたが病院でした。しかも精神科…だそうです。外階段が鉄条網でびっしり覆っているのがとっても怖かったです。
これほどの人混みは予想外でしたが、いい景色をたっぷり見られて良かったです。
RE:月餅
感想です。
「伍仁百菓(うにんひゃっか)」
想像通りの味と食感でした。一番のお気に入りです。
「純棗泥(なつめだい)」
う〜ん、ちょっと微妙でした。
「栗子」
イケます。
「女乃油(ないゆ)」
正直これはハズレでした。ミルクキャラメルのような味。一口目はいいんですけど、大きいですからね。
八つ墓村
週末はずっと「八つ墓村」を観てました。古谷一行のテレビドラマ版と、豊川悦司の映画版です。
映画版はやっぱりクオリティ高いですが、ヨトエツに違和感が……。
月餅
今日は会社の都合で横浜中華街の方まで行って来ました。
せっかくなのでお土産に買って帰ったのがこの月餅です。重慶飯店で買いました。
これ、ひとつひとつがけっこう大きいです。そしてあんこが詰まっているようで重い。一個食べたらおなかいっぱいになってしまいそうです。
そして値段もヘビー。一ヶ¥580也。
「伍仁百菓(うにんひゃっか)」はピーナッツやゴマ、胡桃、松の実、カシューナッツ等の色んな木の実が入っているそうです。クリスピーな食感を期待しています。
「純棗泥(なつめだい)」はその名の通り、餡にナツメが入った月餅です。
「栗子」は栗がふたつ入ったもの。秋らしくていい感じですね。
「女乃油(ないゆ)」はミルクのこと。おすすめの表示があったのでちょっと冒険してみました。いったいどんな味なのか楽しみです。
古典の日
今日は「源氏物語千年紀記念式典」なるものが京都で挙行され、十一月一日を「古典の日」とすることが宣言されたそうです。
前々から投稿したいことがあって、それがちょうど古典の話でした。
良い機会なので書き留めておこうと思います。
大学時代、わたしは理系だったので、古典はもちろん文学自体にも疎かったのですが、教養課程はいくつか文学の単位を取ることが必須でした。
気の進まないまま座ったのが、「雨月物語」の講義の席でした。しかし、そこで雷に打たれたような衝撃を受けたのでした。
「蛇性の婬」の回でした。正直に言うと、最初はいかにもいやらしそうなタイトルに興味を惹かれたのです。
ところが読み進めて行くうちに止まらなくなりました。息をつかせぬ凄い展開。そして濃密な情感です。それまでにはこんなドラマチックな古典は読んだことがなかった。
高校時代には「祇園精舎の…」ではじまる平家物語の冒頭や、「春はあけぼの…」の枕草子を諳んじてきました。
そこに見出されるのは美しくはありますが、今の我々とは全く異なる価値観、感性であって、共感を得るのは難しいものでした。
しかし、「蛇性の婬」には迫真の人間造形と、生々しい感情が通っているとはっきり感じました。
いったい何がそう感じさせるのだろうと、数年来思い悩んできたのですが、最近自分なりに答が出ました。
それは主人公の豊雄が「ニート」だったからです。更に風流ばかりを好んで、本の虫だったとも書いていますから、現代に生まれたならオタクになったこと間違いなしです。感情移入せずにはいられません。
そしてヒロインの真女児ですが、彼女は「ストーカー」です。
現代版に翻案すると、ニートを若き未亡人がストーキングするという、電車男もびっくりの大変倒錯した話になるわけです。古典という表の顔に隠れた、この過激さに当時のわたしはやられたのだと思います。
さて、「蛇性の婬」には元ネタがあります。ひとつは中国の「白蛇伝」。もうひとつは安珍清姫の「道成寺」です。
引用した絵は鏑木清方の「道成寺」です。
この話もものすごいです。名家の娘、清姫は、一晩宿を貸した美形の僧侶、安珍に一目惚れをしてしまい、ななななんと逆夜這いを仕掛けるのです。
安珍は清姫の一途な思いに圧倒されますが、当然、修行の身ですから彼女の思いは受け入れられません。そこで、「熊野参りが済んだらまた会いに来るよ」などとうまい事言って、まんまと逃げ出します。
安珍に騙されたことを知った清姫は怒り狂い、大蛇に姿を変え彼を追います。
とうとう道成寺にまで追い詰められた安珍は、鐘の下に匿われますが、清姫の吐く炎によってアワレ焼き殺されてしまいましたというお話です。
真女児と清姫は共に、濃すぎる愛情表現、ストーカー行為、そして蛇身という点で一致しています。
しかし、真女児が元々蛇だったのに対して、清姫は怒りの余り変化したという点が違っていて、興味深いです。
清姫伝説のバリエーションの中には蛇身にならずに、入水して果てるという話もあるそうです。(この場合安珍は死なない)
そうすると、清姫の蛇の姿というのは、愛情を裏切られたことに対する怒りを喩えたものであると考えることもできそうです。
真女児にしても、未亡人が若い男に懸想して困ったとかいう話が下敷きとしてあったのかも知れません。
二つの物語は、恋に盲目になってしまう女性に対しては、滅ぼされかねないので男は注意しなければならないという戒めであります。
当時はそんな女性を、「蛇に取り憑かれている」などと揶揄していたのではないでしょうか。